無慈悲なマリアに口付けを







がたん、とふいに聞こえた物音は、やはり彼のものだった。
「子龍」
「あいよ」
がたんともう一度音がして、彼の顔が目の前に現れる。
「時間だ」
「あいあいさ」
それだけ返事をして、すぐにぱたんと音が響いた。
窓には、日中降っていた雨の滴がまだ残っている。そのお陰なのか、外もだいぶ風が残っていて肌寒い。
今日は新月の夜。つまり明かりが無い。夜は月明かりだけを頼りに動く馬超にとっては不自由な事。
しかし趙雲にとっては目が働くお陰で、もっともやりやすい時期に当たるのだ。
はぁ、と一回だけ溜息を吐き出してから、無くなりかけた弾薬を受け取りに馬超も部屋を出たのだった。


「そうでしたね、今日は新月でしたか」
「分かってて趙雲の奴を入れたんじゃないのか」
「今日は確認しそびれていたのですよ」
「珍しいこって」
「皮肉は関心しませんよ、馬超」
落ち着き払って姜維の注いだコーヒーを飲みつつ、棚の弾薬を探るのは諸葛亮。
何かと此処ではコーヒーを好む者が多い。その為姜維はしょっちゅうコーヒーのパックを大袋で購入している。
長らく開けられた頭領劉備の後を預かってこの組織を実質束ねている男。
姜維はその愛弟子に当たる。元々は敵組織の一員だった彼を、選抜して諸葛亮が引き込んだのだ。
全く関心する。実際歳など気にはしないが、己と一つしか変わらないこの男が。
諸葛亮は暫くしてこれですね、と見つけた弾薬をジャラ、と馬超に手渡す。

「―――で、今回の仕事は」
馬超は今しがた吸おうとした煙草を姜維にすかさず箱ごと奪われ、いらいらしながら聞いた。
「今回は少し厄介事なので、この姜維も御供致す事になっております」
「………」
馬超は目配せでもう少しまともな男は居なかったのかと訴えるが、諸葛亮はその視線を見事に交わし、書類をあるだけ馬超に手渡した。
「私も憧れの馬超と一度組んでみたかったんですよ。あの趙雲が捺くっていう、狼である貴方と」
そう呟いて、嬉しそうに拳銃を手に取る。その手はやけに滑らかで、撫でる様に。
「厄介事とは」
「呂布です」
暗殺者の間では、密かに懸賞金まで掛けられる大きな首、である。
彼等の間でなら、一度は聞いた事がある名である。
「………」
「あの…殺人鬼と謳われる、男ですか?」
「そうです、彼があの大掛かりな暴力団を率いる董卓の下についたのです」
「なんでそんな奴の下なんかに?」
「…そこまでは。ですが、彼等が暴れれば軽く街の一つや二つは占領されてしまうでしょう」
「それを食い止めろって事か」
その通りです、と諸葛亮は頷く。空になったカップをまた姜維に手渡し、御代わりを求めた。
ガチン、と受け取った弾薬の幾つかを拳銃に納める。
「ですが、相手の中にその鬼神が居るとなると、少々厄介です。…今回の目的はあくまでも董卓の暗殺ですから」
「隠密行動は向いてないんだがな」
「呂布だけではないのです、あの第二の鬼神と恐れられる男、張遼も居るというのですから」
馬超がめんどくさそうに書類を見やる。
「だから、私を入れて下さったんですよ。私は隠密行動向きですから」
そう言って、書類をにやりと仰ぎ見る。
「……まぁ、三分の一くらいは頼りにしておいてやる」
「あっ、何ですかその物言いー!」
姜維はぷぅっと頬を膨らませて、後で見返してやりますよと言わんばかりに準備をする為に出て行った。
「…ふん、餓鬼め」
「何言ってるんですか、貴方に懐いている餓鬼もお待ちかねでしょう」
諸葛亮はくすりと笑って此方を見た。その視線が嫌にうざったく感じる。
「……あいつは俺より年上だろう、無論お前よりも」
「ふふ、あの性格で年上だとは思えませんねぇ」
まぁその通りだが、と苦笑して馬超も準備に入る。まずは内容を趙雲にも知らせなくては。
先程言っていた餓鬼の事を伝えたら怒りそうだな、と馬超はほくそ笑むのを堪えられなかった。



扉を開けると、趙雲は見当たらなかった。
「出て来い、餓鬼」
ぼそりと呟くと、がたりと物音がした。
「…餓鬼ってのは誰の事ですか」
「お前の事だが」
「…そりゃ、間違いだ」
どさっ、と何かが落ちる音が聞こえて、するりと冷えた手が伸ばされた。
どうしたらここまで冷えるのだろうと思うくらいに冷え切っていて、触れられるだけてぞくりとする。
「ねぇ」
「触るな、冷たい」
「寂しかったの」
「さっきまで居ただろうが」
「違う、寒かった、この部屋も」
趙雲はやけに寒がりだからなのだろうか。冬になると、余計に部屋から動かなくなる。
舐める様な声で馬超の顔を掬い取り、優しく頬を舐めてきた。
「気色悪いな、止めろよ」
「厭だ」
だって馬超の肌上手いからなどと意味不審な事を呟き、するすると首筋まで指を辿らせる。
「つ、ぅ」
絡められた指先が器用に胸元を探ってくる。その手を払い除け、馬超は離れようとする。しかし、
「温かい、もっと、触れていたい…」
ぬらりと赤く覗く舌先が、ゆっくりと馬超の首筋に吸い付く。
赤い痕をゆっくりと残し、名残惜しそうに離された。
「お前はまるで吸血鬼の様だな」
「それでもいい、血だって温かいから」
煩い、と小突くと趙雲はしゅんと項垂れた。以外に打たれ弱いのは、馬超にとっては唯一の助けと言ってもいい。
「ねぇ、もう一度だけ」
「……これでお預けだからな」
ソレは嫌、と僅かに漏らされた後、そっと唇を重ねてやる。
これが趙雲にとっては一番好きな事らしい。お互いの温もりが一番伝わり易いからなんだそうだ。
時折こうしてやらないといじける上に、彼は本来の体温を失う。失うという事は、やがて命をも蝕んでゆくのだ。
彼自身から、人の熱を喰らう太古の生物に縁があると聞いた事があった。
だからこそ、趙雲は馬超の傍を離れないのだ。そして馬超もまた、それを分かっているから遠ざけようとはしない。
これは隷属の様にも時折認識されるのだが実際はそうではない。馬超でなくても本当は良い。だが趙雲は彼以外の熱を奪おうとはしなかった。
趙雲曰く、相棒以外からの熱は拙いので頂かないという事らしい。馬超にとっては唯の迷惑の一言に尽きる。
「御馳走様」
丁寧に目を緩やかに閉じると、以外に睫毛は長い。髪も長いからまるで女の様だ。
しかしそう言うと趙雲は必ずと言っていい程否定し、むしろ馬超の方が女らしいと言う。
どちらにせよ、お互い褒め言葉のつもりだが相手にとっては全く褒め言葉として通用しないのが事実だった。
「それは終わりとして、仕事だ」
そう言うと、趙雲の爽やかな瞳にキラリと光が走った。
「……どんな?」
「今回は相当危険らしくてな、姜維が加えられるそうだ」
「えー」
つまらなさそうに趙雲は目を細める。
「なぁに、あいつが殺られそうになったら見捨てりゃ良い」
「後味、悪いだろ」
趙雲は苦々しく馬超を見る。しかし意見を聞き入れる事はしてくれなさそうだ。
「今回はあいつの力を借りないと厄介らしい。俺も仕方なく承知したんだ」
「仕事なら孟起を独り占め出来ると思ったのに」
「さりげなく字で呼ぶな、馬鹿。……諦めろ、今回ばかりは」
ぺろっと舌を出して見せて笑うと、珍しく趙雲は泣きそうな表情を堪えて、分かったと頷いた。
呂布が出てくるという事がどれだけ危険かを、理解したらしかった。
それだけ、あの名は災厄を呼び寄せてくるものらしい。
「よし、餓鬼でもようやく躾が効いてきたか」
「餓鬼って言うな!」
くわっと食いつかんばかりに叫んだ趙雲に、静かに仕事の準備に入れ、と呟くとまた大人しく食い下がったのだった。
静かに下した馬超の顔が酷く綺麗で見惚れたとは言わなかったが。

ふいに、手渡された書類に気になる文章を目に止める。
「……他組織と手を組み、我ら蜀漢は三人を送り込む事とする………」
ちりぢりと咥えた煙草の灰が落ちる。
「へぇ、他の組織の名は?」
興味ありげに趙雲は目を向けてくる。
「憎き曹魏の組織らしい」
馬超はばつが悪そうに目を細めた。あの組織にはいろいろと個人的に遺恨があるからだ。
「…どうしてまた、そんな任務を?」
「急な事らしくてな。…ってか、書類読めよ書類」
「こんなに文字多くて、読みたくもない」
うんざりと趙雲はぼやいて書類を馬超の手に返してしまった。元々こういうめんどくさい事はしないタチである。
「…あぁ、他組織が孫呉の奴らだったら良かったのにな」
「全くだ」
溜息をつく。そして棚に引っ掛かった着替えを手に取り、体にするりと通した。
染み込んだ弾薬の香りと煙ったい煙草の香りに、かなり慣れたものだが余り心地よくは感じない。
「拳銃、メンテナンス終わってるって」
「問題ない、すぐに取りにいく」
「おっけ」
趙雲も着替えを済まし、すぐに手にアルコールを振って綺麗にする。
案外綺麗好きなので部屋の汚れを気に掛けてくれるのは嬉しい事だ。馬超は一切掃除をしたがらないからだが。
「アルコール、貸せ」
「珍しいな、馬超が使うなんて」
「今回は倍手を汚しそうだからな」
無論、手を汚すとは血の意味だけではない。その事くらいは趙雲も悟っているだろうが。
「…ふーん。ま、いいけどさ」
趙雲は言って気アルコールを馬超の手に垂らし、すぐに仕舞い込んだ。
「さぁ、死を呼び込む餓鬼をもう一個、取りに行くとしよう」
馬超は手を擦り、立ち上がってまたほくそ笑んだ。





メンテナンスを終えたホウ統からキラリと光った拳銃を受け取ると、二人は姜維と諸葛亮の待つ指令室へと向かった。
ウィィィン……とビームでも発射された様な音が遠く聞こえる。聞きなれた扉の開く音だ。
扉が開くなり、姜維がばっと馬超に飛び付いてくる。
「うわっ……おい、離せ」
「わー馬超、男まえでっすねー」
「………」
やけに親しげにうりうりと顔を寄せて頬擦りをする姜維に、趙雲は無言で睨み付けていた。
いわゆる嫉妬、というやつである。
「こらこら、番犬が噛み付いてしまいますよ」
諸葛亮は笑いを堪えて姜維を窘める。馬超は趙雲の事を番犬と言った事の方が面白いらしかった。
「くく、うちの餓鬼を犬とまで言って下さるか」
「餓鬼は止めろよ……」
趙雲は頭を抱える。
「今日は新月です故、彼の力がお役に立ちましょう」
「俺としても、完全な不利という訳ではないんだがな」
「しかし、やはり月光などがあった方が扱い易いでしょうに」
馬超とて、唯の人間ではない。
趙雲はやたら熱を失う厄介者だが、その分目は暗闇でもなおはっきりと見えるのだという。
その他にもまだ秘めたる力はあるのだそうだが、いずれ分かる事なのだろうから今はあまり関与していない。
馬超自身も、未だに全ての能力を知っている訳ではないのだから。
此処に集う者達は皆、外の世界で普通の人間として存命する事ができなくなった者達なのだから。
馬超も親から恐れられ、捨てられた。その時の事はこれっぽっちも牢記してはいない。だが、忌々しい過去は全て消し去っててしまってから、此処へ来たのだった。
今では、此処が帰るべき場所なのだ。
「では、御武運を。――くれぐれも仲間割れなんて起こさぬ様」
「了解した」
それぞれに無線と傷薬、弾薬を余分に渡された。配給品なので気にする必要は無いという。
「…どうせ、いつもの程度じゃ全く足りないでしょうからね。…無駄遣いはいけませんよ」
「分かった」
どうせ足りなくなる覚悟は出来ている。今回はそう楽に事が進まないだろう。危険な懸けでもあるのだ、これは。
「では丞相、もうコーヒーが切れますので返ってくるまでは我慢してて下さいね」
極上の笑みを浮かべ、その場を凌ぐ。我ながら師匠に似た腹黒さだ。
「……な」
言葉に詰まった諸葛亮を一人残し、姜維はさぁ行きましょう、と二人の手を引っ張った。








「……ははは、もうすぐワシを暗殺する為に組織共が来る様じゃ」
董卓は酒を次々に飲み干し、弛んだ腹を撫でる。
造りが豪華な机には幾つもの高いブランデーが並び、キラキラと光沢を光らせている。
「……ふん、どうせ雑魚だけなのだろう」
完全に自分よりも強い者などいないと言う様に踏ん反り返った彼は、本当にやる気がなさそうに体を紊乱させていた。
「何としてもお前はこのワシを護るのだ、呂布よ」
「………殺しても死なぬ男、か…」
酒の入ったままの杯をグシャリと握り潰し、呂布はぼうっと呟いた。
掌からは血と酒と欠片が入り混じり、カランと音を立ててそれらが落ちた。



「此処だ。ここで待て、と書いてある」
姜維は二人を呼び止め、指示をする。諸葛亮から受けた指令がきっちり書き込まれているらしく、度々姜維はそれを見ていた。
「曹魏、じゃなかったらまだ気分は上々なんだがな」
「全くだ、同感ですね」
二人は気落ちしている様で、それぞれに顔を背け合っている。全く分かりやすい人達だと姜維はぼんやりと月の隠れた空を見上げた。

――――新月。

光が空から遮られ、魔性の者達が力を発揮する時。
魔性の月は、あらゆる生物の精神を乱すもの。
この時ばかりは、何故か良くない予感が過った―――少なくとも姜維は。

暫くして、風を切る様な音が聞こえたかと思えば、すらりとした肢体の男であろう者が、姿を現した。
これで背に月でも見えていたら美しさは完璧である。
恐らく男……である筈なのだが。一言で言えば、物凄く派手な格好をしている。この時期に、腹を露出しているとは……と馬超は半ば呆れた。
胸元には蝶のピン、頭には紫の髪留め。どうやら女らしい飾りも似合う様だ。
「えっと、貴方は……?」
「もしかして貴方達が蜀漢の!?いやーん可愛い〜!!」
「……はぁ…」
あっけに取られて三人は彼を見つめていると、その男(?)は馬超を見て、
「きゃあ、誰よこの子!!相当な美人じゃない!!」
と叫んで思わず手をぶんぶんと握る。その様子には、表も裏も感じない屈託さがあった。
「………」
趙雲はまたも嫉妬の目を光らせてしまった。その様子に姜維はああこんな目をしてたんだなぁ、と納得する。
本当に彼が番犬であったなら、今にもヴーと唸ってきそうな雰囲気だ。
どうやら趙雲自信は自覚していないらしく、目配せしても反応は薄情だった。
「…すまないが、お前の名は?」
馬超は特に反応もせずにそう問うと、その男はすぐに居住まいを正し、
「申し遅れましたね、私は曹魏の組織に所属する張コウと申します。以後お見知りおきを」
そう言ってにこやかに笑う。どうやら噂の魏の頭の息子とは違う様だ。とりあえず警戒は必要なさそうだった。
「…貴方は御一人で?」
「いえ、あともう二人来られる筈なのですが」
「……」
趙雲は相変わらず黙りこくったままだ。敵意とまではいかないが、張コウの事もありよくは思っていない様だった。
先程の挨拶といい、馬超に近付いてあわよくば親しくする者は劉備と諸葛亮以外は認めていないのだ。
その事も含めて諸葛亮は彼の事を番犬と呼んだのだろうが、恐らく本人は全く気付いていない。
「構いません、後から合流するでしょうから」
張コウはさぁ、と手招きして三人を迎え入れた。
建物の内部はやはり明かりも少なくて分かり辛い。冷たい足音が遠くまで響いて消えるだけだ。
薄暗い廊下は何処までも続いている様で。
「さぁ、死の宴へ誘ってやると致しましょう」
ジャキン、と手に忍ばせた珍しい鋭い鉤爪に目をやり、張コウは呟いた。
「ああ、同感だな」
怪しく歪んだ唇からは、そんな冷たい言葉が漏れた。



「……随分と、無防備ですね」
「その様だな」
こんなに広い建物だというのに、見張りの一人も居ない。
まるで侵入者の出入りを構わないという様子なのだ。
「それにしては、監視カメラも見当たらないですよ」
「…この暗さじゃ、どのみち使えやしないだろう」
姜維は静かに足を忍ばせ、天井に手を付ける。
「―――じゃあ、私は一旦別行動に入りますので。その間は宜しく頼みます」
「…しくじるなよ」
勿論です、と姜維は答えて姿を消した。
「彼は別行動ですか?」
「…隠密向きらしいんでな」
何も答えようとはしない趙雲を横目に、馬超は答える。先程から、趙雲は張コウとは張り合う様に睨み付け、言葉も発さなくなっていた。
「そんなお怖い顔をなさらず。私は敵ではないのですから」
張コウは至って親しく接している様で、幸いギスギスした雰囲気は和やかである。
少しだけ彼の気さくさに救われつつ、真っすぐ続いた廊下を歩いていくと一つのドアの前に来た。
「……どうするんだ?」
「入るしかないでしょう」
「……」
馬超は二人の了承を受けて、静かに扉のノブに手を掛けた。ガチリ、と音がしてゆっくりと開く。
途端に、ブァッと爆風の様な激しい風が押し寄せ、三人を襲った。目もまともに開けられぬまま、腕で視界を覆う。
間もなく、凄まじい数の殺気が体を貫いていく感覚がした。
コォォォォ……と何かの凍て付いた息を感じる様で、肌が酷く寒く、温度を失っていく。
身に潜ませていた拳銃をすらりと抜く。途端に体中の感覚が研ぎ澄まされ、意識が殺意へと向いていく。
ぺろりと乾ききった唇の端を舐め、ジャキンと銃口を殺意の方へと向ける。
狙いは纏めて、出来るだけ弾は消費を避ける、それが最善策。
その事を念頭に置いて、静かに引き金を引く。
「――――断て」
パァン………その日初めての銃声がなり、纏めて何人かが頭を射抜かれて屑折れた。
それを合図に、何かが両脇から、背中からふっ切れた様に弾け飛ぶ。
「タイムリミットは、5分。それまでで、この部屋を片せ」
「―――OK」
趙雲は僅かに目配せして、両手に拳銃を構えた。ダダダダダッと乱射された音が響く。
そしてどさどさっと血に濡れた死体が落ちてくるのを横目にタイマーにスイッチを入れる。秒針は残り4分45秒を差していた。
カチンと弾薬を入れる音がして、見えない闇の方から弾が飛んでくる。
それをひらりとかわし張コウは鉤爪を大きく振り被り、衝撃波を起こして敵を炙り出す。
「…ふむ、美しさに欠けますねぇ」
ふ、と僅かに笑んでから花弁を散らせる。血の様に、赤い薔薇を。
「随分凝ったものだ」
「褒め言葉と受け取りましょう」
張コウは意外にしなやかな体を捻らせ、器用に闇に潜んだ敵を斬り裂いていった。
馬超も負けじと拳銃を放つ。
「――タイム、4分」
「全然OKだ」
シャランと銀の鎖が掠れ、微かな高い金属音を響かせた。

「神はいるのでしょうか」
「女神は居るさ。―――軍神マルスの子が、な」
今更何を言うかといった視線を投げ掛け、趙雲は苦笑する。
神。など恐れやしない。神に欺こうが、従順しようが勝手な事だ。
―――せめて、己はこの軍神を守る為に生きる、と決めているのだから。
それが疎ましい事でも、気になどしない。熱を失えば、結局朽ちて無くなるのは自分一人なのだから。
道連れなど出来ないし、する気もないさ――――趙雲は自嘲する。
自負などしてはいない。人の血を受け継いでいる以上は痛みだって感じるし、死にもする。今生きている様に、同じ異形の者を愛する事だってあるのだから。
死体が山を作り上げる頃、趙雲は次に天井に潜んだ相手を見据えてにやりと笑う。
その表情に一瞬の隙と恐怖を感じ取り、素早く連弾をかましてやる。
「見えないと思ったか?…バレバレだよ」
ばーか、なんて言葉が漏れるかわりに銃口を構え、素早く額に打ち放つ。音を残して落ちてくる死体を交わして次から次へと団を撃ち込んでいった。
「おい、餓鬼」
「餓鬼ッて言うな!」
上目使いで馬超は淡々と叫ぶ。
「後残り何人だ」
「……15人」
「そうか、なら一分以内に終わるな。30秒か」
「ひィィッ!!」
半ば悲鳴の様な叫び声が上がり、ダンダンダンッと乱射された弾が飛ぶ。掠める事もなく見抜いて除け、弾は壁に突き刺さった。
「この化け――――」
「口が過ぎる子はお仕置きだね?」
趙雲はくすくす笑って、頬に付いた血をぺろりと舐め取った。そして体制を変えて背後の相手を撃つ。
声も発される事なく落ちた死体はどさっと血濡れた死体の山のてっぺんに積み重なった。
「後一人――――」
「プロ―ンだ!趙雲ッ」 
馬超の鋭い声が飛び、すぐに趙雲は足を地から浮かせた。同時にその足を掠める様に風が起こる。
「……っと、サンキュ」
「たったく、危なっかしい奴め」
趙雲はすぐにごめんと呟きつつ、最後の相手を撃つ。遠くでぐわっと声が聞こえ、ドサリと倒れた音を最後に一切の物音が止んだ。 
「これで終わったよ、残りは」
「……3分ジャスト。残りは、繰り越しな」
ピッ、とタイマーを一旦止めて次の部屋を探す。
「おい餓鬼、次の入り口は」
「だから餓鬼じゃねぇよ、馬鹿馬超……っ」
「何か言ったか?」
「…イイエ、ナンデモアリマセン」
極上の殺人スマイルにすごすごと食い下がるのは我ながら情けない事だと思う。だが、これを無視すると本当に怖いのだ。
この意味は大概が「自重したらどうだ」と言っているのだ。
無論、趙雲は今更自重などと、とは思っているが馬超はそれを許さなかった。
「まぁ、躾も上手いのですねぇ馬超は」
「………」
その褒め言葉(?)に趙雲は眉を顰める。故意でそう言っているのか何なのか、張コウは微笑んでいた。
こいつは間違いなくMだ。そうに決まってる。勝手に、趙雲はそんな事を考える。
すると、途端にすぅっと温度が掌から引く感覚がした。
「……っ」
「? どうした趙雲」
「熱が……冷めた、らしくて」 
「此処でやれと言うのか?」
「……?」
馬超は珍しく困った様な顔を見せたが、冷えた掌を出せ、と言われて差し出すと自らキスを施した。 
そのお陰ですぐに熱は戻り出す。
その甘い、蕩ける様な行為を目の当たりにした張コウはぼんやりと彼等を見つめ、目を細めて「美しい…」と呟く。
どうやら彼は美しさに目が無い様だ。趙雲はその僅かな接吻を身に感じながらそろそろとありがと、と呟いて掌を引っ込める。
本当は掌ではなく唇にしてほしかったのだが、今更文句も言える筈がない。何故か甘ったるい空気が辺りに満ちた気がする。
「そうじゃなくてゴメン、次の扉はあっち」 
甘ったるい空気に戸惑いつつ扉を指差すと、
「ああ、分かった」
馬超はすぐに表情を戻し、高く飛ぶ。壁を蹴り上げ、反動で鉄筋を掴む。
ガンッと鈍い音がして、馬超の体が浮き上がった。続いて趙雲と張コウが続く。
バラバラと後には鉄筋が凄い音を立てて転がり落ちるのが趙運だけには見えたが、もう後は一切気にしなかった。
扉を潜ると、再び真っ暗で冷たい廊下が続いていた。明りが相変わらず一つもないのだ。
手を這う様に床に吸い付け、馬超はじっと耳を澄ませている。
「……何か聞こえましたか?」
「………」
暫く馬超はそうしたまま動かなかったが、何かを聞きとったらしくすぐにちょいちょいと手招きをしてみせる。
近寄ると、密かに人差し指を立ててあっちの方角だ、と知らせる。
「……汚ぇ笑い声が聞こえる。…董卓の可能性もある」
「あ、やっぱ中年オヤジですか、董卓の野郎は」
「……美しさに欠けていますね…この中の者達は」
張コウもやれやれといった具合で額に手を当てる。
「……しっかり個人情報も書類に記してあったぞ。だから読んどけって促しておいたのに」
「私は生憎とそこまで細かい所を気にするタチでもないんでね」
じゃあ綺麗好きなのはどういう事だ、と聞きたくなるのを馬超は堪えた。今はそんな事を気に掛けていられる程暇でもない。
声の聞こえる元を辿ってゆっくりと忍び寄る。
すると再び扉が3人の前に立ちはだかった。しかも鍵が何重にも重ねられ、どうやっても鍵で開けない限りは開かなさそうである。
「――――先に鍵を探すしか手はなさそうだな…」
「えぇ…めんどくせぇな、また戻るのか?」
溜息が思わず漏れた。するとカタ、と音が僅かにしてサラリと茶色の髪が降りてきた。思わず身構える。すると、
「……馬超、」
「…その声は、姜維か?」
「その通りです、ほら、これをお使い下さい」
そう言って馬超の掌にジャラ、と渡したのは大小数々の鍵だった。
「……これは」
「私の十八番、頼りにしていて下さいって言ったじゃないですか」
甘く見てませんでした?と得意げに姜維は胸を張った。
「そうだな、助かった姜維」
「ちょ、何だかかなり棒読みに聞こえたんですけど今」
「気の所為だ、感謝してる。……開けるぞ」
「………」
複雑そうな表情を見せる姜維を横目で笑いつつも、趙雲は丁寧に鍵穴に鍵を埋めていく。
慎重にガチャガチャと解けていき、残りも僅かとなった。
「……開ける前に、言っておく」
馬超は真剣な顔で話し出す。勿論、ドアの前なのだから相当な小声でだ。
「この扉を潜ったら、すぐに臨戦態勢に移れ。殺気が半端なく漏れてる」
「……私の仲間も、もうそろそろ到着するとは思うのですが」
張コウは呟く様にそう言った。すると背後でサラ、と何かが擦れた様な音と共に花の様な香しい香り。
「もう来ていますわよ」
「……ッな!?」
3人が揃ってその声の方に振り返ると、鮮やかな青の良く似合う……美人の女性が微笑んでいる。
「……甄姫…」
「張コウ、ごめんなさいね遅れてしまって」
「甄姫というお方なのですか……?」
「あら?そちらの綺麗なお方は?何処かの姫君でいらっしゃいますの…?」
「姫ぎっ……」
甄姫の何気ない言葉に馬超は凍り付いてしまった。思わず手にしていた鍵を取り落としそうにもなる。咄嗟に趙雲と姜維と張コウは馬超が姫君であったらと想像してしまう。
「……美しい」
「beautiful……!」
「相当美人でしょうね……今もですけど」
「何の想像だお前ら」
気の所為か馬超の突き刺すような視線が嫌に痛い気がする。でも、姫君というのも存外悪くな……
「下らん妄想してないで、さっさと開けろ鍵を」
無情にもグサリと鍵で手の甲を刺され、危うく悲鳴を上げそうになる。
「ほう、躾が効いてきたか」
「酷いです…」
趙雲はその恐ろしさに半泣き状態であったが、泣く泣く鍵を全てどうにか外したのであった。
「御苦労、趙雲。…では、準備はいいか」
馬超の静かな一喝に、皆がこくりと頷く。
ギィィ………と再び悪夢の扉は開かれた。




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