解ける心5題







あなたとなら始まりを



―――お前の力が必要だ

以前厄介になった男にそう言われて、仙台の衝撃隊に呼ばれたのはつい最近のことだ。
部隊の本陣に着いた時、丁度衝撃隊の人員を集めている最中で、吾郎はぼんやりと腰の酒を飲んでいた。
自分の目から見ても、それなりに力になりそうな人物がちらほらと見えた。

副隊長をしているという、乾という男が大勢の男達に声を掛ける。その様子はきびきびとしていて厳しいものだ。
衝撃隊の本陣は柏木屋という遊廓であり、流石に煌びやかな格好をした女性達が大勢居る場所だった。何故こんな所を本陣にしたのかは分からないが、特に女性が気になるでもない五郎は何も思わなかった。
やがてぞろぞろと入っていく男達の中に、まだ幼い子供が二人、紛れているのが見えた。迷ったわけではなさそうである。
「…ふぅん」
隊長と話しているのを見ているあたり、どうやら彼等もこの部隊に入隊するつもりらしい。隊長の言う限りでは、百姓であろうと浪士であろうと、差別なく入隊出来るのだと言っていた。
と、何やら二階の方からがたがたと音がする。ちょっとした騒ぎでも起こったのだろうか。吾郎はそれとなく身を乗り出してみる。

――どぐしゃっ。
鈍い音がして、一人の男が二階から真っ逆様に落ちてきた。周りの男達は彼が隊長なのかと勘違いし、呆れたり帰ろうとしたりしている様子である。
(…なんだってあんな所から…)
吾郎は少し興味を持ち、少し人混みへと入り込んで近付いてみた。
「いってぇ〜…」
見事に地面へ当たってはいたが、幸いにも怪我はせずに済んだらしい。肌蹴た右肩には大きな刺青が施してある。
身なりからしてみれば、どこかの博打打ちか、ヤクザのあたりの人物なのか。
「……ん、」
不意に、吾郎はその男と目が合ってしまった。予想よりもずっと大きな、黄色い瞳が此方を捉える。鼻の辺りには横に傷がついていた。
ヤクザにしては随分と若く、何処か幼げにも見えた。
相手はきょとんと此方を見ていた。五郎は何処か気恥ずかしい様な気分に襲われた。彼から向けられる視線が余りに率直で、淀みがないのである。
不思議な男だ。そう、思った。


と、まだ残っていた男達に乾が再び声を掛ける。
その言葉に、その場に居た男達の空気が凍りつくのが分かった。乾の言葉は相手を気付かぬうちに苛立たせてしまう所があるようだ。
先程の男も何処か冷やかな視線を彼に向け、ゆっくりと立ち上がった。腰から何かを取り出すのが見えた。

「…オイオイ」
乾は表情を崩さない。その男は淡々と喋った。
「俺 博打で負けるより嫌いなんだよね」
そういう彼の表情はとても穏やかで、笑顔にすら見えた。だが内心はその反対だろう。
「あんたみたいな野郎」
手にしていたのはドスだ。やはり何処かのヤクザの類なのか。
「たぶんそう思ってんのは―――俺だけじゃねーぞ?」
その男を先頭に、他の男達も只ならぬ殺気を放ち始める。乾は相変わらず動くことすらしなかった。酷く場は落ち着いている。
だが何処か冷え切っている。一色即発の場、といってよかった。
「“親分”じゃなく“隊長”と呼べ。 チンピラ」
「知らねーよ」
その言葉を発端に、ドスを構えた腕がまっすぐ乾の首元に向く。動くか、と吾郎は思った。だが次の瞬間、その男が吹っ飛ばされた。
隊長がいつの間にかその男を殴り飛ばしていたのだ。吾郎はあっけらかんとしていた。
間も無く隊長の言葉で、その場で喧嘩が始まる。だが間も無く隊長一人にそのほとんどが倒され、騒然となった場に隊長は言った。

「つまり――強い奴が一番偉い」
すると一人、最初に殴られたあの男が座り込み、
「隊長の仰る通〜り♪」
と腕を上げた。どうやら隊長の荒っぽいやり方に納得した様子である。
とにかくその場はそれで落ち付き、二階に彼等も上げられた。



二階に上げられた彼等は、とくにすぐにする事もなく、間も無くサイコロを取り出し博打を始めた。
何人もの男達の声が上がる。間も無くあの男の唸り声が聞えた。どうやら賭けに負けた様だ。
「ン゛ン゛ニ゛ャア゛ァ〜!!十 連 敗 俺ァここでも勝てねえってか!?」
髪をわしわしと乱し、じたばたと騒いでいる。余程博打には弱いらしい。吾郎はこっそりと嗤った。
「チキショー死んだらァ!!」
そう叫んで男はドスを取り出し、自分の腹を突き付けた。
「死ぬなら外で死んでよ、部屋汚れるから」
吾郎は思わずそう言っていた。その言葉にその男は此方を睨みつける。するとその近くにいた坊主の大男が紙に「南無阿弥陀仏」と書いた。
「コラァその顔でリアルだから止めろ!!」
さんざん喚き散らし、再びその男は博打を始める。懲りない奴だ、と思った。こういう奴は大抵戦で野たれ死ぬのが落ちというものだ。
まぁ自分の知るところじゃない、と吾郎は呑気に酒を口に運んだ。




後に、隊長が部屋に現れ、今後の事を話す。話によれば、自分達は官軍を相手にし、一度はあっさりと落とされた白河城を取り戻すつもりの様だ。
「侍もヤクザも百姓もない 東北に生きる男の義烈を見せつけてやれ!」
その言葉を、誰もがじっと聞いていた。
「俺のような下級武士や、録を食まないお前らの底力を!」

2人の子供は兄弟であるらしかった。兄は弟を元気づける様に話し掛けているが、弟はどうにも乗り気の様には見えなかった。ずっと下を向いたまま、浮かない表情をしている。
「隊長信じてついて行くしか、他に道はねぇんだよ」
その言葉を耳に入れた男――寅吉という名だった筈だ、その男が顔を寄せた。
「信用しすぎんなよ、侍なんて」
「え?」
「確かにあの隊長さんは強ぇし、志も立派だ。 けど腹ん中じゃあ何考えてるかわかんねぇよ?」
寅吉は顎を摩りながら喋る。
「俺達を侍にしてくるなんて言ってっけど、ただの捨て駒かもしんねぇ」
「…細谷隊長が、俺達を利用するってのか?」
「イカサマかどーかちゃんと見極めてから張れっての」
そう言う彼の横で、半兵衛という坊主の大男が紙に「博打弱いくせに何を…」と書いていた。
「隊長はそんな人じゃねぇ!」
「なんで言い切れんだよ?」
「会ったばっかで、隊長は俺達兄弟を救ってくれた。それに…」
太一は下を向いて言う。
「友達の民生の為に、墓を掘って弔ってくれたんだ…」
今度は、顔を上げて言う。
「隊長は、裏切るような人じゃねぇ」
どこまでも澄み渡る様な声で、言葉で、少年はそういうのだった。
その言葉を、寅吉は黙って聞いていた。明るく見開かれている瞳は動く事はなかった。
「…侍に恨みでもあるの?」
自然と、吾郎は口を挟んでいた。
「関係ねーだろ」
寅吉は顔を背けてそれだけを言った。機嫌はあまり良くはなさそうである。
「大丈夫、細谷さんは他とは違うよ」
「! 知ってんのかよ?」
そう言った吾郎の言葉に、寅吉は反論する。
「俺は隊長に頼まれてここに来た」
答えて、再び酒を口に運ぶ。
「何?」
寅吉がそう言い掛けた時、「集合!」と声がかかった。隊長である。
そしてそれから、立派な刀やら服やら、用意されたものを身に付けた。皆、黒い服装である。服はこの本陣の女性達に頼んで作ってもらったものらしい。
それは夜の闇に紛れて奇襲を掛ける為だと、隊長は教えた。この少人数なのだから、それが良策だろう。悪戯に攻め込めば犠牲が増えるだけである。

皆が着替えて間もなく、伝令が隣村で長州派が暴れていると伝えに来た。
その言葉に、隊長は合図を出し、「初陣だ」と先頭に立って建物を出た。







吾郎は木の上からじっと戦闘の様子を伺っていた。此処で待機していろと隊長に言われたからである。
そこからもあの男の姿が見えた。寅吉である。妙に気になる所があると吾郎は思った。たかがチンピラ一人の筈なのだが。
やがて刀が官軍の相手に弾き飛ばされるのが見えた。そこそこ強い相手であるらしい。どうやら寅吉は刀に慣れていない事が裏目に出たようだ。
と、目の前で大木が倒れる。何事かと思えば、竜という木こりの男が木を倒したのだった。それを見て、寅吉は何か考えた様である。
そして再び相手と向き合った矢先―――寅吉は、腰元のドスを素早く引き抜いた。ジャッと音がして相手の脇腹から血が噴き出す。
「毎度ありぃ♪」
その寅吉の様子に、あの幼い兄弟も農具を取り出す。やはり刀をいきなり扱うよりもずっと使い慣れた道具の方が良い様だ。
その後も様子を見ていると、何とかうまい具合に敵は減っていく様子だった。
寅吉が刀を弾き飛ばされた時、僅かに銃を手にする指がぴくりと動いたのは――多分、気の所為だろう。そう思う事にした。

そして、遂に隊長は敵のリーダーと思しき男の首筋に刀を充てる。すぐにでも首を斬り落とせる状況だ。
ほっと吾郎が腰の瓢箪に手をかけたのも束の間――倒れていた筈の男が一人、置き上がった様に見えた。先程寅吉がドスで殺した筈のあの男だ。
まずい、と思った。その男は拳銃を手に、あっという間に寅吉を人質にとった。口からも血が零れ出ているが、かおうじて喋ることくらいは出来る様だ。
寅吉の顔が真っ青になった。まさかの事態である。寅吉は額に拳銃を突きつけられている。それを隊長は落ち着いた様子で見ていた。
視線が一瞬、木の上の五郎に向けられる。撃て、と瞳が命じていた。吾郎は火縄銃を構える。
「…しっかり狙えよ」
それは男を超え、此方に向けて言っているのだと確信する。今度は視線を逸らさない。吾郎は狙いを定めた。少し間違えば寅吉の方に当たってしまうかもしれない。
「撃て!!」
敵の男が吠えた。撃つ瞬間、寅吉が目に涙を溜めてぎゅっと瞑るのが、見えた。
動くなよ――吾郎はそう願いながら、引き金を引いた。

ドン――人質をとっていた男の額を弾は貫き、大量の血を噴き出して男は倒れた。今度こそ倒したのだ。一斉に皆が此方を見た。寅吉もどうやら無事の様だ。
それを見て、もう一人のリーダーらしき男はすぐに逃げ出した。それを追おうとした仲間を隊長が止める。

「よく戦ったなお前達。見事な初陣だった」
隊長の言葉に、皆ほっとした様な表情を浮かべる。
「勝ち鬨を上げろ」
その一言に、叫び声が上がる。勝ったのだ。吾郎もやれやれと木から下りる。今回は出番こそほとんど無かったものの、死者は一人も出さずに済んだ。
それで十分だ。吾郎は今度こそ瓢箪の酒を飲んだ。

「吾郎お前…鉄砲使いだったのか」
そう言ったのは寅吉だった。意外に思えたのだろう。
「ただの酔っ払いかと思ってたぜ。やるじゃねーかよ」
そして腕を組み、少し顔を上に上げながら言う。
「と とりあえず礼を――」
「寅吉――だっけ?」
そこで素直に黙って聞いていればよかったものを、吾郎は思わず口を挟んでしまった。
「さっき泣いてなかった?」
「んえ!?」
どうやら図星だった様だ。まさか誰かに見られていたとは思わなかったらしく、逆に此方が驚くほど狼狽していた。
「な バッ 泣いてねーよバッカじゃねぇの!?」
「怖かったの?」
「ざけんな!つーか酔っ払いが鉄砲とか危なくね!?」
2人の言い争いの隣で、隊長が先程首を落とされていた男の家族に近寄る。隊長は彼等の父親であるその死体を共に弔わせてくれ、と言うのだった。
彼のそんな後ろ姿を、吾郎と寅吉は黙って見つめた。

「…で、張るの?張らないの?細谷さんは他とは違う」
吾郎はまたぐびりと酒を飲んだ。寅吉は、
「――ま 博打は張らなきゃ始まんねーしな。一か八か隊長に張ってみっか!」
にひひ、と寅吉は笑ってそう言った。その笑顔に、ヤクザには酷く似合わない笑顔だ、と吾郎は思うばかりだった。
こんな奴となら――気が合わなくも、ないかもしれない。
吾郎も、つられて少し笑った。










小指を絡めただけの嘘




―――ぽちゃん。
池に一つ、石が落ちた。

くぁ、と大きくのんびりとした欠伸をするのは寅吉だった。一人で池の縁に座り込み、時折石を投げ込んでいる。
「暇そうだね」
「…おうよ」
寅吉は吾郎の声に振り向きもせずにそう答えた。

酷く天気はいい。
今の心情とは正反対に、恨めしい程それは清々しかった。

「捕虜の男が逃げた」
「…は?」
見張りをしていたのは竜だった。その竜の母親が労咳で苦しんでいる事を弱味に付け込み、上手く逃げたのだという。
あの男が逃げたとなると、今自分達の居る場所が割れるのも時間の問題だった。
「で、俺達はどーすんだよ?逃げる準備でもすんのか?」
「それが、迎え撃つんだってさ」
「はぁぁ!?」
寅吉が素っ頓狂な声を上げるのも無理はない。闇夜に紛れた奇襲でこそ本領発揮が出来るものの、それが日中となれば黒ほど目立つ色はない。
下手をすれば殲滅されるかもしれないのだ。
「斥候が何人か戻ってきたんだけど、もう大分近くまで来てるみたいだよ」
「んな……っ」
「逃げるにももう時間はない、って事もあるけど」
吾郎は呑気に酒を飲んだ。今更焦ったところでどうしようもない。
「とりあえずなら急がねぇと、」
「寅吉!」
「あぁ?」
走っていこうとする寅吉に、吾郎は一度だけ声を掛けた。
「…死ぬなよ」
「おう、お前もな!」
当たり前の返答に、五郎はくすりと笑った。



寅吉が組に戻ると、既に仲間は武装していた。隊長が忙しなく動き、逃げ散る仲間達に声を掛けている。
「…もう、すぐそこまで来てるのかよ」
「あっという間だったよ。しかも敵は崖の上だ。此処に居ると間違いなく格好の標的になるだろうな」
太一がそう言う隣で、宗次はカタカタと震えていた。まだ幼い上に、兄の背後に隠れている様な少年なのだ。無理もない。
「無理すんなよ、宗次」
「……うん」
間もなく、少し離れた位置からドォン、ドドォンと大砲の音が聞えてきた。
「げっ、大砲まで持ってきてんのかよ!?」
「ぐずぐずするな。少しでも遅れれば命を落とすぞ」
隊長の言葉に脅しは一切ない。間近に大砲の弾が落ち、地面を削ぎ取っていくのが見えた。
「うぉぉっ、危ねぇ!!」
一斉に撃たれる銃に、何とか土塁の裏に逃げ込む。
「そ 宗次の作ってくれた壁で助かった…!」
「あっぶねー!」
寅吉はふぅっと息をついた。此方は防戦一方である。
「しっかし細谷隊長何か策があんのか!? 逃げるが勝ちっていう言葉もあるぜ!!」
「細谷隊長を信じる。それだけが俺の知ってる戦いだ!」

「お前らァ!!百姓ヤクザの根性、見せてみろ!!」
オオオッと声が上がる。隊長は銃弾の飛び交う先頭に立ち、刀を振るっていた。それでもこの劣勢は覆せぬまま、じりじりと隊長も引き下がる。
とにかく銃弾の攻撃が激しく、無理に飛び込めば一瞬で死ぬ事も分かっていた。
「来たぞ」
「見りゃわかるって敵が来てんのは!!一体どうすんだよぉ!!」
焦る寅吉を前に、隊長はにやりと笑った。
「よく持ちこたえたぞお前ら」
「……?」
何の事だか分からずにいると、遠くからドドドドドッと何かが迫って来る音がした。
オオオオオッと雄たけびが上がり、表れたのは仙台藩の援軍―――秋山という男率いる軍隊だった。

「仙台藩の連中で唯一信のおける方の到着だ」
「長州狐共を捻り潰せェェ!!」
先頭を駆ける男の叫ぶ声が聞えた。
「これで戦況は変わる。行くぞ」
隊長は刀を再び抜き放ち、すぐに壁から出て走っていった。敵の軍がだいぶ乱れ始めている。始めこそ隙のない隊列を組み銃を放っていたが、今はそのほとんどが途切れていた。
飛び込むのは今しかない。宗次も寅吉も覚悟を決めて、得物を手に前へと飛び出した。




結果的に、援軍の力が大きく戦闘を左右し、無事に死者は出なかったようだ。
各々怪我を負った者は出たが、相手の戦力もそれなりに削ぎ落す事が出来たようだった。

「寅吉」
「……吾郎」
彼の手元には、血塗れのドスが握られている。
「…宗次が、な。俺は、隊長を信じる戦いしか知らないって言ったんだよ」
「本当に一途だよね、あの子は」
強い光を宿した、芯の強い子供。弟とは違い、望んで侍になろうとしている。
「俺は隊長を信じ切れなかった。…情けねぇよな、あんな小僧にすら、覚悟があったのに」
「それはまだあんたがあの人を信じてないってことでしょ」
「………」
寅吉は否定はしなかった。黙ったまま、ドスを見つめている。
「…まぁ状況が状況だったから――」
「そうじゃねぇんだ」
「?」
ふるふると、寅吉は首を振った。
「俺はまだ、誰も信じちゃいねぇんだ。…無論、お前もな」
「そう……」
ごく、と吾郎は酒を高く上げて飲んだ。
「仲間とか、そういうモンを今まで必要としてなかった。一人で生きてきたから」
「じゃあ、これからゆっくり信じていけばいいんじゃない?」
「……あったのは皆、裏切りだけさ」
まるで独り言の様に、寅吉は寂しそうに話した。何処までが本当で、何処までが嘘なのかは分からない。
「それをなんで、俺に話すの?」
「さぁね?…気まぐれかもしんねぇ」
彼の手元からドスが落ちた。吾郎は優しく彼の指を手に取った。ゆるりと指を絡める。
「…きっと」
「?」
「きっと、この手を握り続けてくれる仲間が出来る。あんたにも、いずれ」
ドスの血で汚れたその掌は、不思議な温かさを残していた。ぺとりと指に付いた血は滴り地に落ちる。
「……そんなもんかね」
半ば呆れる様な表情で彼は言う。だがその手を払いはしなかった。
「ああ」


鴉が、遠くでギャア、ギャアと鳴いていた。
夕暮れが、迫る。











あまやかな痛みに恋情


太一が死んだ。
乾の大切な刀を取り戻す為に、自ら命を擲って、その幼い命と引き換えに取り返した。
そんな太一の生きざまは、自分達に何を残したろう。何を、刻んだろう。
何か、見えない何かだが、とても大切なものを残していったのだと、誰もが思う。

「不思議なもんだよなぁ」
「何が」
「あいつみたいな一直線に生きる立派な奴が死んで、俺みたいな奴が生きてるってことが」
「…そういうのを運命っていうのかね」
「あんなに小さくたって、立派な侍だった。…俺は、」
どうしようもない、クズ野郎なんだ。
その言葉を、地面に向けて微かに言った。戦で人が死ぬのは当たり前のことだ、それは誰だって分かっている。
だが何処かで、こんな所で死ぬ筈はないと、思っている。運命はこんなにも残酷にやってくるものだ。その人が居なくなって初めて、気付くこともあるのだった。
「もっと、生きて、生きて、侍になって、それで」
「………」
墓は黙って佇んでいるだけだ。口を開いて何かものを言うことはない。仄かに酒の香りがした。先程吾郎がかけてやったのだ。
あと何回、こうして死んでいく者達を見送るのだろう。誰かが死ぬたびに、二度と話す事のない石の哀しい墓が増えていくのだろう。
太一は、幼かった。それでも、必死に生き抜いた。まだまだこれからやりたい事も、やらなきゃならない事も、たくさん出来ただろう。

「…とりあえずは、生きてれば次がある、って思えばいいんじゃない」
「いいよな、お前はそんな気楽で」
気楽なわけじゃない。そうでもしなければ、悲しみに胸が潰れてしまう気がしたから。涙は出なかった。言いようのない悲しみは形となって出ることはなくとも、悲痛な声となってそれは漏れ出しそうになった。
それらのぐちゃぐちゃになった苦しみは声ではなく、手に宿る様に腕が伸びた。

「…笑ってよ」
「は、」
ぐにゃ、と吾郎は思いっきり寅吉の頬を引っ張った。それは痛みを伴った。顔を思わず顰めて吾郎を睨んだ――途端に、哀しい色を浮かべた彼の瞳と目が合った。
「太一にも言われたんでしょ。皆を笑わせてくれた、って」
「なっ……」
「だから、笑ってよ」
何処か泣きそうな表情で、吾郎はそう言うのだった。その事に、寅吉は気楽でいいと言った事を後悔した。吾郎もまた、苦しんでいる。
「……笑えたら、いいのによ」
寅吉は視線を逸らした。これ以上、吾郎の痛々しい表情を見ていたくなかった。
「こんなんじゃ、また誰かが死ぬたびに身を引き裂かれる様な痛みを味わわなくちゃいけない」
「人数が少ないから、余計に親しみが湧いちまう。……ったく」
だから、大切な人など、いらなかった。それなのに。
「今はこんなにも…仲間を、大事に思っちまってる」
「それは良い事でしょ」
「それでも、……」

その大事な何かを、護れなくては意味がない。
護れなかった。自分は取り落としてしまった。
「…俺だって、皆のことは大事に思ってる。お前のことだってそうさ」
「……」
「だから、俺は生きる。生きて、死んだ人達の分まで戦うよ」
そうすることが、今の自分に出来ること。これ以上、大切なものを失わない様に。
「お前の、言う通りなんだろうな」
寅吉の視線の先は分からなかった。遠くを見据え、吐き出す様に言葉を紡ぐ。
「お前と話してると、何だか不思議な気分になるんだ」
「……へえ」
「変なもんだな。…あんたとは、会った時から何か妙な縁を感じてた」
脳裏に、初めて出会った時の光景を吾郎は思い出した。あの時、吸い込まれる様な彼の瞳と目が合った。目は口ほどにものを言う、とはよく言ったものだ。
「それはそれは。…ま、俺もそうだったかもね」
「はは、何なんだろうな」
微かに笑いながら、寅吉は確かに言った。
――確かに、お前もいつの間にか、俺にとって大事なもんの中に入っちまってたんだな。

その言葉に、ちくりと胸が痛む音と、どきりという不可解な音が同時に聞えた。










ゆるりと解けていく心



「おーい、起きてるか?」
「……酒」
「違ぇよ、俺だ」
ひょこ、と顔を覗かせたのは寅吉だった。先の戦で思わぬ狙撃手と戦い、2人ともそれなりの怪我を負った。
特に、何発も銃弾を食らってしまった吾郎は、無理をして今は横になっている状態だった。
「丈夫だね、寅吉は」
「まぁな、飯食ったら元気出たし」
そうは言っているが、寅吉も肩に銃弾を受けている。まともに当たらなかったものの、崖の下へと真っ逆様に落ちた。あの時は本当に心臓が縮まる思いがしたのだ。
それでも元気で飯にがっつく寅吉はいつも通りで、誰もが安心したものだ。
「それにしても、よく無事だったよな、俺もお前も」
「…そんなにヤワに出来てないからね」
吾郎は複雑な笑みで言う。
「それならいいんだけどな」
寅吉はほっとしたような、それでいてにんまりと笑う。その笑顔に、何度心の何処かで救われていたことか。
「ま、お前のことだからな。…それはそうと」
どん、と吾郎の横に置かれたもの。
「……なんだ、酒もあったの」
「珍しい酒なんだよ。どうせ止めたって飲むんだろう?」
「そりゃ勿論」
吾郎は嬉しそうに少し身を起こした。
「お前と飲もうと思って持ってきたんだ」
「嬉しいこと言ってくれるじゃん」
「お前のお陰で助かった、ってのもあるしな」
「ああ、借り?返してくれるつもりだったの?」
「お前のお陰で死にそうになったのもそうなんだけどな」
他の奴らには内緒だぜ、と寅吉は瓶の蓋を取った。

「ほらよ」
「ん、」
ゆっくりと口に運ばれた杯の酒を飲み干すと、程良く喉を焦がす感覚があった。それなりに強い酒らしい。
「上手いだろ?」
「ああ」
二杯目を催促すると、寅吉は笑いながら再び杯を差し出した。寅吉もゆっくりと一杯目を飲み干す。
「なんか、もっと北の地で作られた酒なんだって」
そのまま吾郎は八杯も飲みほした。寅吉ももう五杯は飲んでいる。寅吉は大分酔いが回ってきた様で、うつらうつら船を漕いでいる。
「寅吉、もう一杯」
「……」
返事は無く、どてっという音がして寅吉が倒れ込んだ。酒が遂に回ったのだろう。
「…そんなに強かったかなあ、これ」
まだ飲み足りない、と言ったふうに吾郎は寅吉を見下ろした。すぅすぅと気持ち良さそうに寝息を立てている。頬は赤く染まり、辺りは酒臭かった。
「…変な奴」
それ以上酒を飲むのを諦め、暫く寅吉の寝顔を見つめていると、寅吉が何かもごもごと呟いた。
「んー…ご、ろー……」
「はいはい?」
意識はない。寝言か何かだろう。
「お前はぁ……俺にとって、だい、じ………か…ら」
「……」
どうしてなのだろう。こいつと居ると、妙に自分のペースが乱れる。そんな気がする。

「寅吉。……俺も、お前が大事だよ」


仄暗い部屋でゆらゆらと揺れる蝋燭の明かりが、静かに風に吹き消された。








最果てまで抱きしめて




仙台藩が降伏した。

その為に、そこに属していた鴉組も解散という形をとらざるを得なくなった。戦の後に薄々は気付いていた事だったが、改めて隊長から告げられた言葉には、現実の残酷さが混じっていた。
一つ一つ話しながら、隊長が皆の前で本当に悔しそうに拳を握り締め、一筋の涙を落とすのを吾郎は初めて見た。次に言われた言葉は、尤も聞きたくない言葉。


「今日まで本当に、ありがとう」



あっけない、と思った。
何人も仲間が死んでいった。それでも、自分達は生き残って侍となった。あれ程の喜びはもう味わうことはないかもしれない。
あれだけ命を賭けて必死に生きた時間は、余りに短いものだった。必死に足掻けば足掻く程、それは閃光の様に瞬く間に過ぎ去ってゆく。

「これでもう、会う事はないかな……」
「そうかもね」
寅吉は貰った金を懐に終い、ドスを腰に仕舞い直して立ち上がった。これからは、それぞれの道を歩いて行く。
それぞれ、仲間同士で離れていく者や、泣きながら別れを叫ぶ者も居た。本当にそれぞれである。
「寅吉」
「んあ?」
「…俺の村に来ないか?」
どうせ行く充てなどないんだろう、と吾郎は言った。確かにそうだ、と人事の様に寅吉は頷く。彼に家族が居るという話も、聞いた事はなかった。
「……」
寅吉はにんまりと笑った。何も言わずに、笑顔だけを見せて答えを示した。
行かないという。彼は、自分自身で道を探したいのだと、言った。でもお前の村に行ってみたい気もする、とも。
「でも、もしかしたら暇になってまたお前のことを探すかもな」
「……いつでも、待ってる」
「おう!」
別れた後、寅吉は一度も振り返る事はなかった。ただ、前を目指して、一人で歩いて行ってしまった。本当にあっけない別れである。
吾郎は、一人で村へ帰ることにしていた。別に家族が待っているというわけでもない。ただ、酒がある。それで自分は十分だと思った。
何処か胸がすうすうして落ち着かないのは、きっと気の所為なのだ。








一か月が経った。

吾郎はやはり酒を毎日の様に飲んでいた。
しかし、以前ほど美味しいとは感じなくなっていた。むしろ、味が落ちたのかと思えるくらいにである。
それでも、自分から抜け落ちてしまった何かを埋めるかの様に、飲み続けた。
「……寅吉」
口をついて出る言葉は、やはりそれである。口にする度、あの明るい笑顔が思い出された。今はどうしているのだろう。
手紙くらいは寄越せと言えば良かった。だがそれももう遅いことである。寄越せと言ったところで、彼が書いてくれるというのも想像し難いが。
足音が聞える度、もしかしたら、という気持ちがぴくりと体を動かした。だが、それは彼ではないという事を、吾郎は知っている。この村のことを寅吉には言っていないのだから。

「吾郎さんよ、聞いたかい?」
話し掛けてくる男があった。村の男である。
「通りすがった商人さんから聞いたんだけど、石巻あたりに幕軍艦隊が碇泊してるっていう話だ」
「……そう」
「戦にならなきゃいいけどねぇ…」

幕軍艦隊。聞き覚えがあった。
「…細谷隊長」
吾郎はほとんど無意識に立ち上がっていた。
「吾郎さん?」
「行こう」
彼の元へいけば、また上手い酒が飲める。そんな気がしたからだ。





潮の匂いがした。穏やかな波の音が次第に近くなる。
さく、と砂浜を歩いた。海を訪れたのは久しぶりのことだった。
と、目の前に黒い姿の人が一人、立っていた。忘れもしない。

「……寅吉」
「よぉ、やっぱりお前も来たんだな」
寅吉は何一つ変わっていなかった。その乱れた服装から、あの跳ねた髪型まで、何一つ。朗らかな笑顔もそのままだった。
「あれからどうにも博打をやる気にもなんなくてよ。…やっぱり隊長についていく方がずっといいらしい」
吾郎は釣られて苦笑した。
「奇遇だね、俺も一人酒はどうにも上手くなくてさ」
「きっと皆も同じなんじゃねぇの?…ほら」
寅吉が反対側を向いた。懐かしい仲間が立っている。
「行こう、細谷隊長の元に」
宗次は言った。額に、太一の飾りを付けている。だがこれは自分の意志なのだと言った。傍らに、半兵衛と竜もいる。彼等もまた、あの時の黒い軍装の姿でだ。



細谷隊長の元に行くと、既に乾が傍らに立っていた。隊長は酷く驚いた様子だったが、彼等の意志が解かると納得した様に頷いた。
言葉にこそ出さなかったが、確かに彼は喜んでいた。以前ほどの人は居ないが、誰よりも大事な人達が居る。それで十分だった。
これからは北を目指していくのだという。

「おい寅吉」
「なんだよ」
「…今夜、また飲まないか。二人で」
くいっと杯を上げる真似をすると、寅吉は「それもいいな」と笑った。
「今度はお前が酒用意しろよ」
「…どうするかなあ」
吾郎はへらりと笑った。











原作に基づいた話から少し派生したようなお話です...寅吉は初め、なんだか侍に対してあまり良い印象がないように見えたので...。
思わず両親やら過去やらを多少捏造してみました。
この二人の絆ってほんと不思議な感じだ。つくづく思う。 2013,3,13 も少しスクロールでその後オマケ。↓



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満月がぽっかりと浮かんでいた。心地良い肌寒さがある。吾郎は砂浜に一人、座っていた。絶え間なく波のうねる音が耳に届く。
さくさくと此方へ歩いてくる愛音。黒い服に、白い肌が浮かび上がった。
「よぉ」
「ああ、待ってた」
「浜辺で酒なんて、面白いこと考えるじゃねぇか」
「こういう所へ来れるのも、久しぶりだからね」
まぁ座りなよ、と吾郎は促す。
「此処は海の匂いがするなあ」
寅吉はよっこいしょと吾郎の隣に座る。ぱらぱらと砂が零れ落ちた。辺りは月明かりで明るい。
「…ねぇ、前から思ってたんだけど」
「ああ?」
「お前の両親って、どうしてるの?」
不意に言ってしまった言葉に、寅吉は暫く何も言わなかった。黙って差し出された酒を飲み干してから、ぽつりと呟いた。
「……2人は、土ん中だよ」
とっくに、死んでる。寅吉はそれだけ言った。波の音だけが二人の間を埋める。
「…そう」
「侍を名乗る奴にな。……殺されたんだ」
「!」
その話は、初耳だった。恐らくまだ誰にも話していないのではないか。
「あっけなく裏切られたんだよ。自分達の邪魔になるから、ってな」
寅吉は莞爾として笑った。痛々しい笑みでしかないそれは、きゅっと吾郎の胸を締め付けるものでしかなかった。
「両親が殺されたっていうよりも、侍が裏切った事が、何より許せなかった」
ああ、侍とはこんなものなのか、と。
「それまでは何処か、憧れみたいなもんがあったんだ。自分の中に」
それでも今こうして居るのは、因果なのかどうか。
それでようやく吾郎は理解した。最初、彼が何故隊長という侍を信じようとしなかったのか。
「不思議なもんだよな」
「寅吉」
「湿っぽい話しちまったな。忘れてくれ」
「寅吉」
「いいんだ、吾郎」
「寅吉、もう、いい」
そんなのは侍じゃない、ただの賊と同じだと、吾郎は繰り返し言った。赤子に言い聞かせる様に。
細い寅吉の体が、どうしようもなく頼りなく映る。
「俺は、…大丈夫……だから…」
「寅吉」
吾郎はしっかりと寅吉を抱き締めていた。傷だらけの体。
侍を必死に信じようとして、誰よりも傷ついた心。
「俺が…、居るから」


久しぶりに酌み交わした酒の味は、涙の味がした。





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