相志相愛







「岱はどうして筆で戦ってるんだ?」
「え?」

唐突な夏侯覇の問いに、馬岱は一瞬きょとんとしてしまった。
「いや、だってさ、槍とか剣とか、もっと扱いやすそうな武器があるのに、なんでわざわざ難しそうな筆を扱ってんのかなーって」
「ああ、そういう事ねー」
馬岱は目を細めて言う。
「これは妖筆の類だから、唯の筆じゃないってのは、前に言ったよね」
「ああ、確かそんなこと言ってたっけ」


「……俺は、さ。人を殺すってのが、どうしても苦手だったんだ」
「え……」
ふいに吐き出された言葉は、想像以上に重く、暗く、夏侯覇は返す言葉を一瞬失った。
「情けないよねえ、武将として、人を殺すのが苦手だ、なんてさ」
「いやいや…んなこと、ないっしょ?」
声が少し掠れて、動揺が隠しきれなかった。しまったと思っても、もう遅い。
「こう見えても、槍とか剣は若に教わったりしてたから…結構使えるのよ?」
馬岱はわざと口調を軽くして、此方を気遣って話してくれている様だった。
「でも、槍とか剣だと、人を直に殺す感覚が手に残っちゃって…どうしても、使いたくなくなってさ」
「……」
「それなら、自分の得意なもんを武器にしちゃえ!なんてね」
「そっか…」
「ほらぁ、俺の筆って画鬼を出したりできるでしょ?間接的だから人が死ぬ感覚が直接伝わってこないんだよね〜」
まあ殺すのには変わり無いんだけどね、と馬岱は微笑んだ。その笑みが、今の夏侯覇には少し苦しい。
「でも、やっぱり一族の皆には反対されたよ?勿論若にも」
「その若って人も?…やっぱり心配したんだ」
「あの人は俺のこと、本当に心配してくれてさ。…でも、一番に俺を信じてくれたのも、あの人だった」
「良い人だったんだね」
「そりゃそーよ!俺の描いた画鬼見せたら、本当にびっくりしちゃって。倒してやるなんて叫んで槍を持ち出してきたりなんかして」
暫くしたら消えちゃうのにね、などと言って馬岱はちょいちょいと筆を操る。
「あははっ、そりゃ面白いや」
「でしょー?」
夏侯覇と馬岱は笑い合った。そして、馬岱は同時に思い出していた。





「…岱、お前は何故筆で戦うんだ?」
「若、それ前にも聞いた気がするよ?」
「お前は槍や剣でも申し分なく戦えるというのに…」
「でも、俺はやっぱりこっちがいいのよね〜」
変わらぬ答えに、馬超は苦笑する。
「お前らしいといえば、お前らしいが」
「それにね、」
「?」
「筆なら、先に駆けていっちゃう若に画鬼が追いついていってくれるから」
自分がすぐに追いつけなくても、若を助けられるんだよ、と。


「全く…お前には敵わんな、岱」
馬超は苦笑しつつも、何処か嬉しそうな、そんな気がした。







「なあ馬岱、お前の言ってるその…若?って人、父さんから聞いた事があるんだけどさ」
「へえ?」
馬岱は興味ありげに目を丸くする。ただでさえ愛嬌のある顔立ちをしているのが、一層増した気がした。
「ものっすんごく強かった上に、錦って湛えられたくらい、美しかったって」
「うん、そうだねぇ…若は、戦場に出る度に、これでもかってくらい目立ってたよお」
夏侯覇があんまり大袈裟に言うものだから、馬岱もついついつられて声が上がる。
「憧関の戦いの時も、単騎で無茶な戦をして、曹操がもう少しで殺されるところだったって」
「そうそう、あんまり速過ぎて、俺も追いついた時には曹操の大軍に隙間なく囲まれててさー。ほんと、大変だったんだよねぇ」
「なんていうか、馬岱の事を心配してるわりにゃ、馬岱の方が心配しちゃいそうだな、その若のこと」
「そうなのよ!俺が戦に出る度に心配してばっかで…今になっては数えきれないくらいよ?」
「でもさ、確かにそんなに目立ってた大将なら、わざわざ敵陣に突っ込まなくても真っ先に狙われたんじゃない?」
「あははっ、確かにその通りだったねえ」


――――そういえば。

そんな彼を見兼ねて、直接聞いてしまった事があったなあと馬岱は思い起こす。








―――彼、馬超は、いつも美しかった。
戦場では錦と呼ばれ、誰よりも輝いていた。
そんな彼の姿が、どれほど自分にとって誇らしいものであったか、分からない。

「我が名は馬孟起、我が首が欲しくば掛ってくるがいい!!」
錦と描かれた誉れ高き旗を背に、彼は馬を駆って敵陣へと突っ込んでいった。毎度のことながら、その武者振りは獣のようだった。
それなのに、血を被り死骸に塗れてもなお、彼は眩しく、美しさを失わないのだ。
その姿は、憧関の戦の後放浪を続けていた頃――各地であらゆる主君に仕え、戦いに明け暮れていた頃には、その信憑性すら問われる程だったのだから。
そしてそんな不思議な噂を立てられる本人が、まさか自分の従兄弟であろうとは。
正直、彼が居ない今でも、彼は馬岱にとっての誇りだという事はなんら変わりがない事実であるのだが。






「若、ねぇ若ってば!」
「…なんだ、岱か」
「俺さぁ、いつも思うんだけど」
俺からのそんな切り出し方は滅多に無いからだろう、返り血に汚れながら何が?と言わんばかりに首を傾げる彼は酷く滑稽で。
「はははは!若ぁ、そんなの反則だよぉ…」
大声を出してしまい、その反応に思わずつられて馬超も流石に慌てる。
「な、そこで笑うのかっ、岱!それよりも何か言いたい事があったんじゃないのか?」
「ああ、そうそう。…若のその戦の時の格好なんだけど」
「うむ、この格好か?これが、何だ」

「派手すぎじゃないかなあ、って思うんだよね」

「………は?」

あまりに俺がきっぱりと言い放った所為で、彼は文字通り固まった。それはもう、一瞬石化でもしたのかと思ったくらいに。
まさか俺からそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。おそらく、…いや絶対。
「あ、あのね、派手だから駄目っていう事じゃないんだよ?ええと、その…さ?戦う時…」
「戦うとき……?」
慌てて弁解するも、馬超の気持ちというか、理解は少しずつ逸れていっている気がしてならない。俺は更に慌てた。そのお陰で言葉もぐちゃぐちゃで。
「戦う時にさ、一番に目がいくじゃない?ばか…あっ若の、ね?若の姿っ、目に一番入ってきちゃって…!その、的になってるから!!」
「…岱、少し落ち着いて喋ってくれ」
一体誰の所為だと思ってんの!とすかさず突っ込みたくなったが、とりあえず彼が思ったよりもすぐに落ち着いてくれた様子に馬岱は少しほっとした。
「…だからね、若の格好は派手だから、戦場で一番的になり易いの!」
「…だから、それがどうした」
「だから!…若が危ないでしょ?」
「何だ、そんな心配か」
「何だ、ってそんなあっさり!?」
この人は今俺が言った事を全然理解してないのか、と落胆しかけたが、彼の口から次に出た言葉に、俺は返答出来なくなった。

「俺が派手な格好をしているのは、その為だ」
「……そのため、って」
何言ってるの、若…まさか、と叫ぼうとしたまさにその時、静かに彼が俺の口に掌を充てた。
「死ににいく、という訳ではない。これは、生きる為、だから」
「だって…いくら若でも、狙われ続けたら」
「俺はお前に死なないと約束したからな。大丈夫だ、突撃こそすれ俺は死んではやらん。…お前は信じていないのか?俺を」
「そうじゃないよ!信じてるけど…若が狙われ続けてたら、俺だって生きた心地がしないもん…」
やがてだんだんと気持ちが沈み始め、顔も上げられずに下を向いてぽつりぽつりと話し出す俺に、見兼ねた様に彼は口を開いた。
「…これはな、」
そう言い出して、彼は俺の顔をくいっと上げた。彼の白くて綺麗な、優しい顔が目に映る。
「お前の、為なのだ」
「俺の…?」
派手な格好と、こんな名のある武将でもない俺なんかがどう関係あるのか、全く分からなかった。その気持ちを手に取る様に、彼は続ける。
「俺が真っ先に目立って的になれば、俺の傍で戦ってくれるお前が、狙われずに済むだろう?」
「へ……」
それって、もしかして。
「俺の事を…考えてくれて?」
「ああ、それ以外に何がある?」
「曹操とか……」
間抜けにも宿敵の名を出せば、誰が憎き賊の名など!と一喝されてしまった。そして、優しく大切なものに触れる様な手付きで俺の頬を撫でた。
「お前は、西涼の宝だからな」
「俺…俺は、若にそう思ってもらえるだけで嬉しいよ…」
何だか夢みたいで、涙が出てきそうだよ、なんて言って誤魔化す様に笑ったけれど、本当に心の底から泣いてしまいそうなくらい、嬉しかった。
ただ只管一族の敵を討つ為だけに生きてきていた筈のあの彼が、まさか、こんな俺の為に。
「お前がいなければ、今の俺は在り得ん。…だから、俺はお前の為に生きると、誓ったのだ」
「若…俺も、同じ思いだよ…!」
今度こそ俺の涙腺は耐えきれなくなって、頬を盛大に濡らした。それも、全て彼がそっと拭ってくれたこと。
そして、強く、温かく抱き締めてくれたこと。
俺はあの時、確かに何処かで拭い去れなかった孤独から救われたんだ。








「…なんか、嬉しそうだなー馬岱」
「そうかなあ?」
「ああ、すっごくいい笑顔してんぜ!」
「へへ、これも若のお陰、かなあ!」
馬岱はよいしょ、と妖筆を空に向かって掲げた。


――有難う、若。 俺、若が居てくれたから、もう孤独じゃないんだよ!





ああ、とまるで彼が答えたかの様に、妖筆に当たった光がきらりと優しく反射した。









End





馬岱はどこか不幸そうな影や気持ちが潜んでいる気がして...時には逆に不安で仕方がない若に優しくしてもらえばいいよ!と思い書きました
本当に...馬岱が居るから、今の馬超も居るのではないかなあ、と信じて疑いません
お互いが幸せの源だって分かり合えばそれでいいんだよ...!きっと  2013,3,13



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