初めて会った時、なんて奴なんだろう、と思った。
まずその相貌が酷く目に焼き付いた。銀の髪、紅の瞳。白い服に身を纏い、大きな十字が服に写されている。
正確も荒っぽくて、喧嘩っ早い。戦争に明け暮れている国だとは知っていたが、むしろ自分から戦争を好んでかけているような奴だった。
それでも、何度でも立ち上がる。どれだけ負けようと、その黒い翼の旗が降りることはない。






密接である程見えない宝物






「貴方の大切なものって、何―――?」

「んだよ、いきなり」
唐突に出た言葉は、ずっと聞きたかったことだった。
「なんとなく。あんたって、ずっと地に足ついてないような生き方、してるから」
「んー。まあ、想像に任せる!んじゃな」
ぶっきらぼうにそれだけ言い捨てると、ぱっとプロイセンは椅子から立ち上がった。
「あ!ちょっと、待ちなさいよ」
ひらひらと軽く振られる手のひら。本当に掴みどころがない男だ。
現在はドイツとして統一し、随分大人しくなったと思う。
時折他国にふらふらと出かけては観光したり、ちょっかいだしたりと、ごく普通の接し方とも呼べる程度のものだった。
プロイセンの考えていることはわからない。不思議。その言葉が、ハンガリーの中では一番似合う男だった。
もし、女性であったなら、大好きな男の人とか、物であったりとか。同じ性別ならば分かるのかと。
それでも分からないかもしれない、と思った。プロイセンは男であろうとなかろうと、プロイセンなのだ。

プロイセンが戦をけしかけずとも、時折国と国の間には戦争は起こる。
プロイセンが戦わずとも、弟のドイツは違った。周囲の国とはたびたび戦を起こした。
が、その中でイタリアとは何故か仲良くなったらしく、同盟を組むまでに至る。それからは、プロイセンもイタリアを可愛がっているようだ。
イタリアちゃん家のパスタは美味いだのなんだの、しょっちゅう自慢しに来る。
来たと思えば、好きなだけ寛いで、ご飯をかっさらうように食べ、そのまま眠る。
全く好き勝手に、自分の家のように振る舞うのだからため息を吐かずにはいられない。
(一応…信用はされてるのかしら)
そう思えば、完全に不快ではなくなるのだから、本当に不思議な奴だ。

(……それにしても)
ハンガリーは眠るプロイセンの体を見る。微かに服の隙間から除く首元は、鎖骨がかなり浮き出て見える。
元々痩せ形の体だが、ここ最近は更に痩せた気がした。
彼の性格からして、規則正しい生活を送っているようにも思えない。
こうして静かに眠っているのを見れば、彼は普通にかっこよく見える(お世辞ではなく。
銀の髪だって珍しいし、あるべき筋肉はちゃんとついているし、顔にも傷なんて一つもない。
肌は少し病的に見えるくらい白い。その白さにこの紅い瞳はかなり強烈だった。
赤。他国には全く見られない、不可思議な異端の色。
本来、瞳は赤いものではないのだ。人間の目は赤く映ることはない。
兎なら、と考えてくすりと笑みがこぼれる。まるで彼は銀の兎だな、と考えた。

「……ん」
「あ」
静かに、ゆっくりと開かれた紅い瞳が、白い顔に零れた血の滴のように見えた。
「なんだよ、俺様の寝顔に見惚れたのかよ?ケセセ」
この憎たらしい口がなければ、本当にかっこいいのに。
(勿体ない男ね、ほんと)
けれど、さっきまで本当に見惚れていたのだから、何だか返す言葉が上手く出てこなかった。





そこで、リリリン、と電話の音が鳴った。
「あら?誰かしら」
ハンガリーが電話に出ると、相手はドイツだった。
「ああ、久しぶりだな、ハンガリー。今、そちらに兄さんはいるか?」
「あら…丁度良いわね、居るわよ」
彼の言う兄さん、とは勿論プロイセンのことだ。ドイツと彼は兄弟だが、見た目はかなり似ていない(本当に不思議なくらい。
内面的にはいろいろ似ているらしいのだが。
「ほら、あんたに電話よ。弟さんから」
「ヴェストが?」
その途端、プロイセンは目を丸くして、ぱっと受話器を受け取った。
「おおーヴェスト!何してたんだ?え、まじかよ?」
電話で弟と話す彼は、無邪気で楽しそうだ。
「分かった、早く飛んでいくぜ!準備して待ってろよー!」
どうやら帰るつもりらしい。
「どうしたの?」
「ヴェストがクーヘン作ったっていうからよぉ。二人で食べないか、だと!マジで可愛い奴だぜ、ケセセ」
彼の弟のドイツは本当に立派な体格の持ち主だった。若くしてああも成長が早いのかと驚かされた一人。
あの体格を兄と足して割ったら丁度良い体格になるのではないかと度々思う。
それにしても、弟のドイツは兄であるプロイセンに育てられたのだろうが、よく真面目な青年に育ったなと思った。
以外に子育てとか、できるのかもしれない。そう考えると何だか面白い。
そんな立派な弟も、兄の彼からしてみれば本当に可愛い弟らしい。顔がだらしないくらい緩んでいる。
「じゃーな!邪魔したなハンガリー」
去っていく彼もまた見送る自分も何だか可笑しく思える。
あんなに楽しそうに話す弟に…ちょっとばかり嫉妬した、と言ったらあいつは笑うだろうか。




「よう」
「あんたって本当に突然よね…」
その日は、久しぶりにプロイセンがハンガリーの家を訪れたのだった。
ここのところ、ドイツがまた別の国と戦争を始め、不穏な雰囲気でいろいろと大変だったらしい。
この日はたまたまなのか、黒い修道士のような服装に身を包んでいた。
「神経にくるぜ、ったく弟の戦う戦争なんてよぉ」
彼はそう愚痴を溢すが、案外戦争に忙しないのは兄のプロイセンに何だか似ている。
ハンガリーは棚のティーポットを取り出し、コーヒーの入った缶を取り出した。そして湯を沸かす。
初めの時は、よく分からずに紅茶を出したらコーヒーがいいと言われたからだ。それからは、棚の中に飲みもしないコーヒーの缶を置くようになった。
もうこの作業にも慣れてしまった。
「…ねぇ、あんたは、神って信じてる?」
「神?」
不思議そうに彼はこちらを見つめてきた。
「いつもあんたっていろんなところに十字付けてるから。騎士団の時もそうだったじゃない」
「あー…」
彼がドイツ騎士団であった頃のことを思い出しているのか、顔を上に上げて遠い目をしている。
それももう数百年は前のことだ。だいぶ記憶が乏しくなっているのかもしれない。
「別に神なんざ信じちゃいねぇよ?目に見えるんなら別だけどな」
ケセッと笑う彼は冗談なのか本音なのかよくわからない顔をしていた。
「まあ一理あるかもしれないけど…」
「第一、神の十字架ってわけじゃねぇからな。俺も少し前に消滅の直前までいった時ですら、神なんて現れなかったし」
「え……」
全く、この男ときたら。
どうしてそんな重大なことをさらりと惜しげもなく言うのだろうか。
確かに彼は今「消滅」といった。やはり、国が統一されて弟に全てを譲った時、影響があったのだろう。
確かに、統一以前の彼はもっと健康な体をしていたように思える。
湯が沸き、手早く濾したコーヒーを差し出した。
「あんたってほんと……」
「ん?」
事実上、ドイツが統一した時からプロイセンは国ではなくなったと言えた。
それでもまだ国として人の形を残しているのだから、例外ともいえるが。
「人の心配なんて、そっちのけ。私はあんたの心の内がわからない」
「分からなくて当然だろ?エスパーなんて柄じゃねぇだろ」
軽く彼は笑った。つっとカップに口を付ける。ぶっきらぼうな割には、繊細な扱い方をする。
「そういうことじゃないの!あんたの考え方は外れ過ぎてて――常識がまるで無いみたいなんだもの」
「常識、ね……」
彼は更に遠い目をした。細く、光の筋が微かに映るほどまで。
「常識なんて、戦争ばっかしてた時はころころ変わってた。そりゃあもう、何が正しいかなんてわかる筈もねぇよな」
何が正しくて、何が間違っていたのか。自分の行動ははたして正しかったのか?今となっては、その全ては分かりようのない闇のなかだ。
「……」
「今分かるのは、俺はドイツの半身、いや三分の一くらいか?とにかく共に生きる国の片割れ」
「それは…分かるわ」
「それに、俺は―――」

リリリン。

「あ……」
「電話か?」
ハンガリーが出来ようとするのを制し、プロイセンが立ち上がった。
(…なんだろう、)
何か、嫌な予感がした。彼の表情も、気の所為か暗い影を落としているような。
先程の軽い笑いを思わせない、固く厳しい表情をしている。何かを察しているらしい。
「もしもし」
内容は全く聞き取れなかったが、どうやらプロイセンに向けての連絡だったらしい。
しかし、時間が経つにつれてみるみるプロイセンの顔色が失われていった。
「……ヴェストが?」
「?」
ぽつりと言葉にされたのは、弟の名。彼に何かあったのだろうか。
「ヴェストが?なんだってんだよ、大丈夫なんだろ?なあ、平気だって言ってくれよ!!」
「プ、プロイセン…?」
ハンガリーは思わず電話にかかる彼に近寄るが、彼はそれにも気付いていない様子だった。
必死で震える手を支え、受話器に耳を押し付けるようにして繋いでいる。
眼が本気だった。
「死なせたら本気で許さねぇからな!絶対にだ!必ず――」
「プロイセンッ!!」
「あ……」
強く彼の体を揺さぶった。ちらりと首元にクロスが輝いた。弟と同じ、おそろいのクロスが。
「落ち着いて。貴方まで気を乱したら、直接戦地に赴いてる人はどうすればいいの?」
内容は分からなかった。だが、弟はおそらく戦地にいる筈だった。だとすればそうとしか考えられなかったのだ。
「…とにかく、そっちは被害状況を確認しておけ。撤退の場合は露骨にするなよ。慎重に、確実にゆっくりとだ。いいな」
最期に、弟を頼む、と縋るような声で呟き、受話器を置いた。

「………」
気まずい沈黙が流れた。
「…ありがと、な」
「え…」
「落ち着かせてくれて。…俺、やっぱり駄目なんだ」
「駄目、って…」
彼はがしがしと銀の髪をかいた。投げやりな態度に近い。
「弟のことになるとさ。てんで駄目。思考が固まっちまう」
護りたい、傍にいたい、大切にしたい、愛したい、そんな思いの全てが滲み溢れ出してきて。
「あいつのことで、頭がいっぱいになっちまう」
(……そうだったのね)
「あんた…」
ようやく分かった。
ずっと、不思議に思っていたことが。
(あんたの一番大切なものって、)



弟のドイツ、だったんだって。





そうとしか思えなかった。どうしてもっと早く気付けなかったんだろう。こんなに、あんなに近い存在だったのに。
私は認めたくなかったのかもしれない。
あのプロイセンが、我を忘れるほどに乱れ、泣きそうな酷い顔を見せたのだ。
悲痛な声で、助けてくれ、死なせないでくれ、と。
神なんて信じられない、なんてほざく彼は、ひたすらぎゅっと首元のクロスを手に握り締めていた。

(…あさましい、私……)
きっと。きっとどこかで期待していたのだ。
私もまた、彼の大切なものの中に入っているんじゃないか、って。
でも、それは間違いだった。大きな、大きな。
彼と彼の弟の間に、私が入り込む隙など、全く無かった。
そう気付いた瞬間、私の頭の中にはさあっと冷たい風が吹いた。まるで生温かいかいしがらみを全てそぎ落とすかのように。
次にするべきことは分かっていた。



「ほら、さっさと帰りなさいよ。ここにいていいわけないでしょ」
ハンガリーはぐいぐいと彼の服を引っ張って玄関まで引きずっていった。
「ん、なっ…」
彼が驚いたように目を丸くする。
「あと、時々あたしの家に来るのも止めて。いい加減、迷惑だわ」
ハンガリーは驚くほどあっさりとした声で、彼の体をドアに叩きつけた。
「そりゃねーんじゃねーの?」
彼が少し情けない声を出したので、笑いそうになる。慌てて口をきゅっと引き結んだ。
「分かってるんでしょ?…早く、行ってあげなさいよ、このバカ兄貴」
「………ああ」
馬鹿ね。なんでこんな時だけ、そんな顔をするのよ。
酷く優しく、柔らかな強さをたたえた顔。そっと、本当に一瞬だけ、彼が近づいた。
「………ありがとな、ハンガリー」
お前のそういうところ、すげー好きだ。
「ちょ……プ」
本当に、風のような透明な声で。
「俺、行くわ」
にっ、と微笑んで、ハンガリーを一瞬だけ抱き締めていた腕が離れた。それを惜しいと感じてしまう自分が情けなかった。


酷く悲しい。心が痛むの。ねぇ、どうしてなのかしら。
あんた、私の胸、今細い細いレイピアで刺さなかったかしら?この痛みは気の所為なのかしら。
涙が零れなかったのが不思議なくらいよ。自分でも。


静かに、ぱたんと扉が閉じた。
途端に、力が抜けた。へなへなと体は冷たい床に沈む。
「ふっ……うう……」
静かに、それは静かに。冷たく冷えていくように、今だけは。
ぽろぽろと零れる涙をぬぐいもせずに、ひたすらハンガリーは泣いた。














End

世界の何よりも、弟を愛する兄。
弟が死んだら、きっと彼も消滅してしまうんでしょう。
2013,8,21






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