―――貴方が剣を握るというのなら、私は貴方と私の為に盾を持ちましょう。









断チ切ルモノは剣ナレド、寄リ沿ウモノハ盾ナリ










俺の兄、プロイセンは、掴めない性格の人物だ。
へらへらして、ふらふらして、ほわほわしたような、掴みどころのない人物。
よく言えば風来坊、悪く言えば孤独の国。そう呼ばれた。
勿論兄であるから、昔の遠い自分が生まれる前の時代から存在していて、それだけ長い歴史の中を生きてきた。
数多の戦を駆け抜け、生き抜いてきたドイツ騎士団。そしてプロイセンへ。
黒い鷲が翼を広げる国旗が印象的だった。

それでも、俺と兄さんは統一という形をとって、一つのドイツとなった。
その時、兄さんは自分の名を捨て、俺にドイツを名乗れと言った。
それは兄の国としての消滅を指し、俺は勿論反対したのだ。今までどおりでもいい、ただ一緒に居られれば、それだけで。
けれど、兄は「甘ったれるな」と言い放った。
お前は一人で立てる。だから俺を支えとして、一つの立派な国となれ―――そう、告げた。
俺は胸の痛みと、溢れる涙を堪えてそれを受け入れた。
よく考えれば、それは避けられぬ時代の流れとも言えたのだ。
世界からもまた、許されるかのように壁は崩壊し、俺と兄は東と西で統一した。
それからは、兄の姿を知らず知らずのうちに探し、追いかけてばかりいたのだ。
兄は気付いていたのかもしれない。気付いていたに違いないのだ、けれど何も言わなかった。
時折、本当にごく僅かの瞬間だけ、少し寂しそうな視線を感じたことがあった。兄も、きっと同じ気持ちでいたのだと。






「本当なのか、兄さん!」
「ああ、もう決めたことだ」
振り返った兄は、何かを覚悟したかのように、力強い瞳で俺を見つめた。
その姿に、一瞬怯む。
「もう後戻りはできない。…お前ならこの意味が分かるよな?」
「そんな…ことっ!兄さん、統一なんてしなくたって、」
「ドイツ」
「兄さ…」
兄の紅い瞳がただ一つ、俺を見据える。他のどの国にも見えない、その紅の瞳が。
「お前はドイツだ。そして俺もドイツ。だがドイツは、一つ。一人でいい」
兄は自分の胸に手を当てた。それは静かに。
「俺はお前と一つになる。それは完全な消滅じゃねぇ」
とん。
そっと音をたてた自分の胸。気付くと兄の手が俺に触れられていた。
その腕は細く小さく感じられた。兄は痩せた。目に見える程、ただでさえ細い体は骨が微かに浮き出ていた。
その不安を取り除くように、力強く話し、見つめてくる兄。戦に明け暮れ、愛と引き離された切ない国。
愛を持たなかった兄は、手探りで俺をひたすらに愛し、最後まで愛を捧げて散っていく。
そしてそれが、兄の何よりの悲願だったことも知っていた。
「俺はお前を信じてる。ドイツを、頼めるのはお前だけだ」
ドイツ。その一つの固有名詞は、酷くしっとりと重い。その重みを、兄は一人で俺に背負えと言う。
「兄さん…俺は、俺は兄さんと…っ、二人で、いられれば……それで」
良かったんだ、その言葉は口にできなかった。
「甘ったれんな」
突き放すようなその一言に、俺は何も言えなくなった。例えるならば、それは氷の刃。透明で酷く冷たい凶器。
居なくならないでほしい、もっと傍に居てほしい、俺を一人にしないで。
それらの淡い願いと期待のようなものが、ばらばらと形を失って崩れ落ちていった。足元なんて、もう見ることはできなかった。

「立派になれ、ドイツ。俺が、先の奴らが、胸張って誇れる国になれ」

呼応するように、胸のクロスがきらりと光った。
ドイツの国旗が、大きくはためく。
もう、戻れない。その言葉が、悲しみと覚悟を繰り返し体に落としていく。






1871 ドイツ統一


花と、歓声と、音楽の舞い上がる世界に、俺は統一の式典を行った。
その場に、兄も勿論いた。俺は心ここに在らず、というようにずっと兄の姿を見つめていた。
消えないでほしい、その思いから。
更に俺の砕け落ちた思いを粉々に踏みつぶしていったのは、式典での兄の言葉だった。
「ドイツ、東西一つとなり新しき一つの国よ。高く、強く在れ。私たちはそれを命をかけ支え、見守るだろう」
嗚呼。貴方がその言葉を淡々と口にするのか。貴方はなんて強い。そして残酷。どこまでも独りで生きようとする。
戦に明け暮れた孤高の戦士。それは彼の為にあるような言葉。そうとしか思えなかった。

兄弟。俺と兄は、どこまでも対照的で。
銀と金の髪、紅と蒼の瞳。感情の在り方、覚悟の強さ。
兄は感情的で、突発的な行動をとる。俺は理性的に、何事も考えてから行動へ移した。
兄はきっぱりと決めたことはどこまでも貫き通し、俺はその逆をいった。
何度も右往左往し、終わりを目指す。不思議な繋がりだと思った。思って、いた。

式典が終わり、俺が兄から離れる覚悟をするのを見届けたかのように、兄はふっと居なくなった。



国の消滅。それは即ち国にとっての死を意味する。
それなのに、兄はそれを「完全な消滅」ではないと言った。
どうしてなのか。兄の言葉が分からなかった。そして、悲しかった。
けれども、兄と約束したのだ。約束かも分からなかった。それでも、「ドイツとして立派な国になる」と。
それがまるで誓いであったかのように、俺はやはりさまざまな成功と挫折を味わって何年、何十年と生きた。





1971―――兄と別れて100年が経とうとしていた。
長いような、短いような、形容しがたい年月。兄と別れて、自分はどれだけ成長しただろうか。
立派になったな、その一言だけでも。兄の口から、聞くことができたなら。
「俺は……成長できたのか?」
まだ100年。されど100年。人間には分からないその感覚は、どのように俺に痛みと、優しさを齎したろう。




「――ちったあマシになったんじゃねぇの?」




かつ、こつ  かつ、こつん。


「……」
「おいおい、なんて顔してんだよ、ドイツ」
ドイツ。その一つの国が、どれだけ俺の命を重く育んだのか。
その懐かしい軍服そのまま。あの時、100年前別れる直前のままの姿で。首元のクロスがやはり、輝いていた。
眩しい銀髪と、血を落としたような瞳。忘れもしない、その姿。
今、きっと自分は信じられないほど情けない顔を晒しているに違いない。だがそれが何だ。
「兄さん」
おかえり、その言葉は全て涙に塗れて潰れた。

「……どうして」
「あいつに会った。俺の親、いや、兄…みてぇな奴に」
兄は言葉を醸しながらも説明してくれた。兄は自分の親を越え、土台として国を生み出したという。
「お前は生きろ、とさ。まだやることがあるだろうってな」
ただ、その意味は自身で考えろと言われたのだ。言われずとも、その意味などとっくに分かっている。
本当に久しぶりにあった彼は、生前の姿のままで、優しい眼差しを燈していた。
今も、彼は今を生きるかの国を想っているのだろうか。聞くことはしなかったが。
「…そうか」
そいつに感謝せねば、とは言わなかった。けれど、どんな人物なのだろう、と思った。
「そいつ?……雰囲気で言ったら、何となくお前に似てるな。まあ…お前みたいに立派になる前に、な……」
兄は、その“そいつ”の名を口にしない。今は跡形も、何もかも失ったその国の名は。
俺だってその国のことくらい知っている。既に無い国であることなどとっくの昔に。
その先は、聞かなかった。聞いてはいけない気がした。
兄が遠い目をしていた。悲しみと懐かしさと、何か見えないものを含んだ、そんな瞳。

「教会が見えた。あいつと、綺麗なステンドグラスと、マリア像みたいな―――
「兄さん」
「んあ?」
「兄さんは、ドイツ…ではないんだろう?」
「そうだな。プロイセン、名はそうだ。だが、お前の中の見えない国になる」
「俺の一部であり、かつての国の姿なんだな」
「まあそうなるか」
兄は特に何を思うでもなく、そう呟いた。まあでも、と付け足す。
「ドイツ、そう呼ばれても悪かねぇが。ドイツって名ァ、お前によく似合うからよ」
「ドイツは兄さんあってこその国なんだ。その根幹にはプロイセン、兄さんがいる」
会いたかった、焦がれるように絞り出した言葉と共に、強く強く抱き締め合った。





「……俺もだよ」
微かに紡がれた言葉は、確かに兄の本心からの言葉だった。















End

ふと、プロイセンの性格がああも奔放であったのは何よりの救いだと思えました
まあ東独の特徴ではあると思うんですけど。
消滅を感じさせない俺様気質、最強すぎて(笑。
2013,8,21






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