足元で風に揺れる草が足を撫で、僅かにくすぐったさを感じた。
けれどももしかしたら、同時に目の前に現れた少女の眼差しに、くすぐったさを感じたのかもしれない。




<セントポーリア>




「久しいのう、元親」
「……ああ、元気だったか ガラシャ」
その少女、ガラシャは返事の変わりに少し首を傾ける。
「以前より大きくなったか」
「そうかのう」
ゆったりとそう話す彼女が元親を見る眼つきは、興味が尽きぬとでも言う様な無邪気なもので、とてもとても明るい光を湛えている。
「光秀とは、どうだ」
「…相変わらずじゃ。父上は多忙でわらわの事など構ってはくれん」
「……そうか」
一瞬彼女の瞳に悲しい色が浮かんだ気がしたが、すぐに
「しかしこうして元親が来てくれたのじゃ、それは嬉しい」
と柔らかく微笑んだ。

眩しい笑顔だ。

元親はこの少女と顔を合わせる度にそう思う。
自分がこの少女を娘に持っていたら、こんな悲しい思いはさせたくはない、と密かにも思った時もあった。
だが、実の娘などでなくともこの少女の為にしてやれる事がある。そう考えて、こうして時折彼女に会いに行った。

「さぁ元親、ゆっくりしていけ!」
「ああ、そうさせてもらおう」
本当に幼い子供と変わらぬ形振りで、ぐいぐいと此方の腕を引っ張りガラシャは居間へと元親を連れていく。元親はされるがままに居間へと入った。
花の良い香りが漂い、風がふわりと程良く入ってくる部屋で、何度も此処へ来たが本当に昼寝をすれば最高の部屋だ。以前一度昼寝をして彼女を怒らせてしまった事があって以来、その事には気を付けているのだが。
「白黒でもせぬか?」
「いいだろう」
ガラシャはその答えを待っていたとばかりに重みのある白黒板を持ち出してきて、どかっと二人の前に置いた。元親も相変わらず手にしていた三味線を一旦畳に置く。
「元親はこれは得意か?」
「以前光秀とやった事があった。やり方くらいは知っている」
「ほう…ならば、わらわに勝ったら何か褒美をやろう!」
「面白い」
「その代わり…わらわが勝ったら…一つ願いを聞いてはくれぬか」
「無理難題でなければな」
「よし、じゃあ始めるのじゃ!」
「上等!」








******





―――ぱちん。


響きの良い、木の板に碁石が打たれる音が静かな静寂の中に響く。
ガラシャは白、元親が黒を使う。今は黒の方が僅かに多い。
しかしガラシャはその黒を手際よく白へ変えていく。
「やるのう、元親」
元親もまた、ガラシャの手に対して静かに黒へと戻していく。
ふいに、元親が口を開いた。

「………何時だ」
「?」
「これを最後に光秀としたのは、何時の事だ」
一瞬その言葉に目を丸くしたガラシャだったが、やがてその目は悲しそうに伏せられてしまう。この家には幾人かの世話人が居る筈だが、ガラシャはいつも忙しいのにと気を使って相手を頼んだりはしないであろう。
「…父上としたのは、もう一年以上前じゃ」
「やはりな…」
ガラシャの手が、ぎゅっと碁石を握る。
「父上は、それでもまだわらわを構ってくれた時、この遊びを教えてくれた。それだけでも…わらわはこうして今元親と出来る」
「そうだな」
「だから、幸せなのじゃ。だから、わらわは…」
僅かにその時、彼女の声は掠れを持った。その変化は小さかったが心情を察するには十分の事だった。
「無理をするな」


――父上が自分の事を気にかけてくれずとも、平気。


恐らく元親がそこで制しなければ、彼女はそう言ったであろう。
「辛い嘘をつくなら、せいぜい楽な嘘を吐く事だな」
露ほどにも思っていないだろう言葉を吐くなど、彼女にはそれが苦痛にしかならない。
「そうじゃ…のう。わらわは、不器用で…」
「誰よりも他人を思いやり、優しさを生み出せる」
「え…」
「やはり光秀の子だ。何処までも優しくて底を知らぬ」
元親は優しい眼差しでガラシャに微笑みかける。その微笑みに、ガラシャは優しく包み込まれる様な感覚を覚えた。
「それを言うなら元親だって優しいではないか……」
「そうか?」
「こういう事は、他人から見ないと分からぬものじゃな」
「…だろうな」
くすりと無意識に笑った彼女の顔をちらりと横目で見ながら、元親は次の碁石を手にした。





カタン………


まるでこれまでの結果を締めくくるかの様に最後の一手が打たれた。
碁盤には白が僅かに多く並べられている。

「わらわの勝ちじゃな」
「そうらしいな」
ふぅむ、と一息を入れてから元親は静かに碁盤の上の碁石を片付け始める。その手元に、静かに彼女が掌を重ねた。
「なんだ」
「わらわが勝ったのだから、一つお願いを聞いてもらうぞ」
「……何を、望む」
ガラシャはいつもの様な勝ち誇った笑顔を見せつけるでもなく、何処かもじもじとじれったい表情を浮かべている。
「わらわを……」
僅かに唇が震えた。
「わらわを……お主の、傍に……置いてはくれぬか…?」
「…それはどういう意味でだ?」
「愛してくれ、とは言わぬ。ただ、お主の傍に...居たいだけなのじゃ」
彼女の眼はやがて潤み出し、泣く訳でもなかったが肩も震え出す。まるで今まで堪えていた感情が溢れてくるのを堪え切れなくなってきたかの様だった。
「お前は寂しさを堪えて、父の帰りを待っていたな、いつも」
「…そうだった」
ぽつりぽつりと元親は語り出す。
「その姿を見て、傍に居てやれば俺にでも、出来る事があるのかと考えた」
「………」
元親は、まるで自分に言い聞かせているかの様に、寂しさを交えて語り続ける。
「うかつだったな…お前はただ、優しくて、もっと誰かに愛されたかっただけだった」
「元親……別に、良いのじゃ。愛されなくとも…わらわは……」

しかしその言葉を遮る様に、元親は優しく、素早くガラシャを抱き締めた。
元親の着物を、いつしか彼女の瞳から零れていた涙の雫がじわりと小さな染みを作った。
「光秀がお前を愛せぬ分だけ、俺が愛してやる」
何とか聞き取れる程の声で、そっと耳元に囁き、ガラシャの柔らかい頬に唇をふっと寄せた。
「わらわは……わらわは、愛されても、良いのか……?」
頬を伝った涙は、さらにぼろぼろと零れ落ちてゆく。いつもいつも笑顔を浮かべていて、暖かな光を灯していた瞳は悲しみが溢れ出し雨で沈んだ景色の様だった。
「不幸を一人で抱え込むな。俺がその不幸を払ってやる。それと…」
「それと?」
「お前は、光秀の事は好きか」
「…わらわの父なのじゃ、敬愛しておるのは当然じゃ」
「それなら安心した」
ふっと再び笑み、元親は柔らかい手つきで何度もガラシャの頭を撫でた。その行為にガラシャは心の底から癒されていく気がした。

「のう、元親……」
「ん?」
「わらわは、元親が大好きじゃ。…父上と同じくらい、な」
「…俺もだ」
二人はどちらからともなく、掌を合わせて微笑み合った。



遠くで小鳥が、鳴いている。










End


やっと書けました...!元親とガラシャが親子のようだったらいいな〜という希望(笑
とりあえずこの二人は幸せで満ちている感じがしてならないです.
ちなみにタイトルの「セントポーリア」は「小さな愛」という意味です. 2010、9、8



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