蠍状花序    ―さそりじょうかじょ―












時刻は既に夕餉の時を終え、深夜に向かっている。
ほう、ほうと遠くで啼く梟の声だけが外に木霊して、草木を撫でる様に、滑る様にその木霊を通していた。


一人、この時刻に未だ根を詰めて仕事を纏めていたロディは、息抜きに寒いとは分かっていながら部屋の空気を入れ替える為に窓を開け放った。
ほう、と吐いた息は室内でも温度の低さで白くなったのが分かる。形の無い氷が頬に頭に胸にぶつかってくる様で体は芯から冷やされていく感覚に、彼は間もなく窓を再び閉めようとした。

――――と、


「おいっ!」


「!?」



暗く沈んだ暗夜の世界に、突如として現れた緑の影。それは確かに数日前、己がこの場所で別れを告げた男の姿だった。
…しかし何故、その男が窓の上から姿を見せたのか。
「…何をしている」
「こんばんは、かロディ?」
「私に聞くな」
そっけなく返答をするが、あまりに突然の訪問(?)に胸はまだどくどくと荒く鳴っている。
彼――――ルークは戦時中に置いて、相棒として共に戦った男だった。そのありのまま、自然のままの様な緑黄色の光を映したこの瞳に、ロディは幾度手を焼かされたか分からない。
筋が通っているという事とは全くかけ離れているが彼の中で揺るがぬ率直さは、ロディの想像のつかぬ程に突発的なもので、それは彼でなくとも驚くばかりだった。
あの壮絶な大陸全土を巻き込んでの戦争を主君であるマルス達が腐心のうちに終結させたのち、彼はこの城に戻るなり告げた言葉は
「俺、騎士を止める」
の一言だけだった。
その言葉に誰もが反対の意を表したが、彼はいつもの様に笑ってマルスやロディの説得ですら取り合わないままに騎士団を除隊してしまった。
そしてこの場所で別れ、彼は名残惜しむも惜しまれる間もないままに姿をくらましていた。ロディが驚くのも無理は無かったのだ。

「とっくにこの辺りには居ないと思っていた」
「うーん…俺ももともとそのつもりだったんだけど、さ」
ルークはゆっくりと身をずらして遠慮なくロディの居る部屋に上手く入り込んだ。無論靴のままで、である。
「………」
またこんな事で汚されては面倒だろう、と口には出さずともひしひしと伝わってくる彼の視線を上手くずらす様に、ルークは窓の外に目をやった。
「いきなり来て悪いな、でも此処を発つ前にお前に言いたい事とかあったから戻ってきたんだ」
「私に?」
「そう、相棒のお前だけに」
ルークは相変わらず僅かに口元を浮かせて話す。
相棒というのは“元”だろう、そう言おうとしたロディに、
「相棒っていうのは何も同じ場所に居なくたって言えるだろう?」
と見透かした様な一言を差し込む様に言った。その言葉に閉口した彼に、ルークは
「でもな、俺は本当は…」
「?」
後の方が声が掠れる様に音を失い、地に零れた様に消えさる。後の言葉を聞きたくもあったが、聞くべきではない様な気がして聞くのは控えた。
「それよりロディさ、窓の外を見ろよ」
「何故だ?」
再びあの突き刺すような寒さの風に当たるのか、と少し気が退けたが、
「夜空が今時分綺麗なんだぜ」
「……」
キィ、と開かれた扉から再び緩やかに吹き付けてきた寒い風に顔を顰めつつも、窓から身を乗り出して真上の星空を見た。とすかさず、

「……ほら、あっちの方に小さめの星が三つ綺麗に並んでるだろ?」
ルークは指で空を差して線を描く様に星を示した。
「ああ」
「その周りを台形の様な取り囲む風に光る少し大きめの星が4つ、あるだろ?」
「…確かに」
「あれはオリオン座っていうらしいんだ」
「…オリオン、座…か」
ロディが見据えるオリオン座は、一度教えられるとそこに集中して視点が合っていた。
「此処を去ろうとして小道を歩きながら見上げたら、あの星座があってさ。…なんだか、あれがふいにロディみたいに思えてさ」
「? 何故私に?」
「あの周りを囲む星の一つに、赤い星があるんだ。その星が何だか、お前の意思みたいに思えたんだ」
「私の意思に…」
ふいにルークは僅かだが真剣な表情になった気がした。
「普段は周りに溶け込む様に、自分の意思を露わにしない。…けど、いざという時にお前は自分の意思を力強く貫き通すんだ、オリオンの弓矢みたいに」
「あんまり恥ずかしい事を言うな」
「でも、本当にそう思ったんだ」
まただ、とロディは感じる。この率直さは人を傷付ける事を厭わないのか、はたまた未だ知らないとでもいうのだろうか。それとも唯単にこれは彼の中にある幼さから出る事なのか。
「…だとしたら、お前は何なんだ」
「俺も思ったんだけどな、俺は蠍座かなぁ、って」
「何故…」
「蠍はオリオン殺した奴だからさ」
ルークは夜空を見上げたまま、答える。彼の口からも、白い息が零れる。
「…どういう意味だ」
「分からない?」
「分かる筈がないだろう」
「お前の意思は強いけど、それを崩せるのは俺だけ、って事だよ」
「……」
下らない、とあっさり卑下することは出来なかった。寧ろ、ルークに対しての意味不明に近い恐怖を感じる自分が居た。
その時、同時にロディの中には彼の率直さは幼さ故のものではなく、また完全な知恵とも言えぬものだったという確信が生まれた。
「まるで私はお前に殺されるとでも言っているようなものだな」
「お前が誰かに殺されるくらいなら俺が殺してあげるけど」
その言葉もまた、率直に放たれた言葉であったからこそ恐怖と狂気の様なものが入り混じっているかに感じられた。
そのまま言葉を失ったロディに、
「お前の意思が折れる事は、お前の命が折れるように消えるように俺には感じられるんだよ、なぁ」
風が酷く寒さを煽るという事も忘れて、ロディは視線をオリオンから離さない。食い入る様に、幾ら首が痛みを訴えてきてもそれを受け入れる事はしない。
今ルークの方を見るべきではない。―――寧ろ、見れないのだった。あまりに純粋に心の奥を突き刺す光が彼の瞳に宿っているであろうから。

「だから、俺以外にお前の意思を折らせないで」

「…折らせるも何も」
ロディは微かに笑った。そんな風に笑みを漏らしたのも久しぶりの事だった。彼の言葉は静かに、密やかにロディの動ける手足を、封じ込めていく。
元よりその枷を、一つとしてロディ自身解く気もないのだが。
「私の意思を折ろうとする奴などお前くらいしか居ないだろう、ルーク」
「…そうだな、そうかもな」
「―――まるで、お前の言葉は毒みたいだ」
まるで蠍の毒の様に。とっぷりといつしか浸かっていたのは自身の心。
ロディはようやくゆっくりと首を垂れ、ルークを見詰める。その瞳はルークの光とは真逆の様に、漆黒に当てられたかの様に妖しい光が映っている。
「お前は誰に殺されるつもりだ?」
「俺がお前を殺したら、本当に息絶える前に、」
ぐいっ、とロディの首をルークの顔に近付けさせ、続きを口にする。

「―――死に間際のお前の手にかかって、死ぬよ」

「…相討ちで終わらせるつもりか?」
「お前をこの手に掛けるなら、俺もお前の手に掛って死にたいから」





ルークは、出逢った当初から嘘をほとんど吐かぬ奴だった。
その事は一番傍で、共に居たロディが一番よく分かっていることだ。
「…私も、到底お前以外に殺される事はない気がする」
「そうでなきゃ」
ルークはにんまりと笑う。幾度となく思うことだが、その笑みは酷く酷く純粋なままで、誰の心も傷付けるなどと思った事が無いであろう。
しかし時としてその狂気染みた純粋さが人をどれだけ苦しめようか、彼は知らないのだろう。
「俺は明日までには此処を離れてる」
「!…そうだったな」
ロディは数日前まではこうしてルークと変わらず他愛ない会話を繰り返していたのだ。その感覚がまだまだ当分先まで抜け切る事は無いだろう。
ひっそりと沈んでゆく様な寂寥感に包まれながらも、心配はかけさせまいと下がりかけた口元をくいっと引き結ぶ。
「お前の旅の無事を祈ってる」
「死ぬかもしれないっていう危機にあったら、俺を呼んで」
「……お前は来るのか?」
「何処に居ても、絶対絶命に陥ろうとするならお前をこの手で殺しに行くよ」

……………お前の弓矢の様な槍の様な、真っ直ぐな、その意思を折りに、行くよ―――――絶対に。



「何度だって、お前の事を案じているから」
「何度だって、間違っていたとしても、」



「「お前の命を絶つのは俺だけだ」」





唯ただ、純粋な瞳が溶けて混ざり合うのが互いにのみ、見えた。
紅き意志を放つオリオンは、やがて情欲に溺れる様に蠍に命を奪われる。
奪われるものと変わりにオリオンは蠍の赤い赤い心の臓を最後の矢で抉る。



「お前はもう此処を立つのだろう、行かないのか」
「……なぁ、何時帰ってこようか?」
細く透き通って消えてしまいそうな声で、ふいにルークは言葉を発した。
「呼ばなくとも帰ってくる気か?」
「…春がいいかな。あったかい風が心地いいから」
「……何時でもいいさ。お前は何処に行こうと死なないだろうから。…心配はしなくて済む」
「お前こそ。俺が居ない間にくたばったりすんなよな」
こつん、と互いの額を僅かに触れ合って、掌も合わせる。お互いの鼓動がゆっくりと伝わってくる様で、何だか心地よく落ち着く行為だった。

「来年の春、またお前に会いに帰ってくる、から」




遥か今はまだ見えぬ夜空のずっとずっと―――――先に、オリオンの命を狙う蠍が月の光を待ち兼ねている。









End

あああああどうしてこんな暗くなってしまったのかな......!?はっぴえんどで終わらせるつもりだっあのだが;;しかしダークサイドでも想いが通じ合ってるといい!
ちなみにオリオン座の赤い星はオリオンの右肩にあって、べテルギウスっていうみたいですが.
蠍座は心臓にアンタレスという赤い星を持っているようですね......
「情念」「嫉妬」「欲望」を主軸として表してしまうようです 美点はといえばセックスアピールとかが上手い と...か ね. 2011,2,7



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