よく晴れた春の一日が、始まる。






<a modest wish >







「……お出かけ日和だねぇ」

「そうかもしれませんねぇ」

「………」



静かな部屋に、パラ、と紙が捲れる音がする。

「…なぁ、今朝は何食った」
「………あ」
「やっぱりか」
「すっかり忘れてました」
「だろうと思ったよ、ホラ」
捲簾はスッとおにぎりを一つ、差し出してやる。
「これは?」
「どうせまた忘れてると思って、一個余分に作って持ってきた」
「…頂きます」
「おうよ」
天蓬ははむりとおにぎりに齧り付く。ほんわりとまだ温かみが残るご飯に、きゅっと酸っぱい梅干しの味が広がった。

「貴方は私の奥さんみたいですねぇ」
ぽつりと、そんな事を言ってみる。

「…回りにゃお前さんが女房役かって言われてんのになぁ」
捲簾はぽりぽりと頭を掻く。天蓬と違ってふけは落ちない。

「私の世話役と言うか、頼れる主婦といいますか」
「そうなるとお前さんは駄目旦那役ってとこか」
くすくすと、どこか子供を彷彿とさせる様な無邪気な笑みを浮かべる捲簾。
「でも僕だって無能な訳じゃないですよ?」
「そりゃあ分かってら――」
ぐいっ、と天蓬は捲簾の肩を掴む。

「貴方が私の元に訪れてから、」
「…天蓬?」

ぎゅ、と自然に捲簾の肩に置く手に力が込められる。
けれどなんだか、何処かがむず痒く感じて手を引っ込めてしまった。

「何だか時間がゆっくりと、流れていく気がしないでもないんですよねぇ」

「どういう意味だそりゃあ…」
「貴方と居ると、落ち着くって事でしょうか」
「……そりゃ、ヨカッタな」

「それとですね、煙草が一人で吸う時より格段に美味しくなりますよ」
「お互い様かね」
ふぅーと息を吐き出して、互いに微笑み合う。







いつからだったろうか

この時間が、堪らなく愛おしく感じる様になったのは。

いつから――――






「やっぱり貴方は僕には過ぎた奥さんかもしれませんね…」
「だから奥さんじゃねぇっつの…」
ふふ、と自然に頬が緩む。

本以外に、自分が新たに愛したもの。
自分の一人引き篭もる様にして閉じていた心を広げてくれた人。

こんなにも、傍に居てくれる事が落ち着くなんて。




「ねぇ、捲簾」
「何だよ」
「貴方はいつまで僕の傍に居てくれますか」
「…どういう意味?」
ちらりと視線が合う。
ほんの、ほんのちょっとだけ真剣な眼差しを見せて。
「僕の傍に、いつまでも居てくれますか」
「……んー…」
捲簾は困った様に天蓬を見つめる。
天蓬は合ったままの視線を外す。
答えなんて、出されなくても分かっている。きっと。
「すみませんね、無茶な事、望みました」
「天蓬………」
「何だか、貴方とこうして居られる時間が僕、好きになってしまったみたいなんですよねぇ」
こうしておにぎりを貰ったり、のんびりと煙草を一緒に吸ったり。
「……ふぅん」
捲簾は対して何を感じた様子もなく、ぼんやりと天蓬を見ている。
「最近、欲深くなったみたいです」
すぱーと煙草を吸う。何だか何処かがほんわりと熱い。

「…お前はさ」
「はい?」
ぽふ、と今度は捲簾が天蓬の肩に手を乗せる。

「もっといろんな事、周りに望んで言ってみたらいーんじゃねぇのか」
「……はぁ」
「お前は一人で居すぎなんだよ、バァカ」
「そうですかねぇ」
「そうだろ」
確かに、一人では本を読むか書類を片付けるか、…思い起こせばそれくらいしかしていないと思う。
あと煙草を吸う事だとか。
だから、捲簾の居てくれる時は温もり、というものが感じられたのだろう。


「…まぁ、俺もアンタと居るのは嫌いじゃねぇし、出来る限りは居てやるよ」
「……」
「それに、ろくに真面目な生活もしてねぇから心配になるしな」
「はぁ…それもそう、ですね」
「だろ?」
ククッ、と笑みを浮かべる捲簾。
やはりこうして見ても子供らしい感じがする。
自分と同じ同年代であるけれど。


「…貴方が居てくれるって分かったら、もう一つ欲が出てきちゃいました」
「あん?何だよ」

再び煙を吸い込もうとしていた彼の口元の煙草をするりと抜き、変わりにふわっと口付ける。
仄かに自分とは違う、煙草の香りがした。
「……不意打ちにゃ、慣れてねぇのよ…」
捲簾はしてやられた、とでも言うかの様に顔を抑えている。
「何なら僕らもう、夫婦関係でもいいかもしれませんねぇ」
いつもの張り付いた癖である笑みではなく、本当に奥底から笑みが込み上げてくる。

どうしよう、こればっかりは堪えられない。

「…本気で?」
「やっぱり僕は駄目旦那役ですかねー」
「俺は結局奥さんポジションかよ……」
「まぁそうなりますね」

何だか目の前に居る男が、とても幼く見える。
顔を少し火照らせて、本当に…………


「…さっきから何笑ってんの」
「いやぁ、貴方があんまり可愛らしかったので」



その言葉は、確かに天蓬の本心から出た言葉だった。
その言葉に、捲簾はただただ、赤面する事しか出来ないのだった。







(望めるならば、貴方の全てを、)








End


この二人の夫婦漫才らしさにすっかりハマって、思わず書いてしまいました...
実際のところ、私にはどうしても捲簾が奥さんポジションにしか見えません...のでこうなりました.
この二人がどうしようもなく大好きだよ......! 2010,7,7



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