約束の場所











北の大国。
そう聞くだけで背筋が凍る思いがした。
ソビエト連邦。まるでその国名そのものが凍りついているかのような。

聞くところによれば、毎年の冬将軍は寒さに慣れていない国の人ならば堪えがたい寒さなのだとか。
また、核兵器なども数えきれないほど保有しており、アメリカとその数は競うように増え続けているという。

「初めまして、イギリス君。僕は、ソビエト連邦の一人。よろしくね」
「お、おう」
差し出されたその手のひらは大きくて、ゆったりと包み込まれたのに温かく感じることはなかった。
「宜しく…な、えぇと」
「まあ実際、僕はソビエトの中心みたいなものだから。そのままソビエトでいいよ」
「そうか。宜しく頼む、ソビエト」
にこりと微笑み返してきた男は、綺麗なプラチナブロンドの髪。ピジョンブラッドのような真紅の瞳。
大きな体格なのに、キリリとした目つきでありながらも優しそうな風貌は意外だった。
「イギリスくんちって、穏やかな自然と石造りの建物が綺麗なんだってね。一度、行ってみたいなあ」
にこりと微笑む柔らかそうな顔は、自然と北国の恐ろしさを緩和させていくような気がした。
……まあ、後々には奴の本当の恐ろしさを知ることにもなるわけだが。


ソビエト連邦とは、表沙汰に戦争を繰り広げることもなく、会う機会と言えば会議の時ぐらいなものだった。
眼が合うたび、彼はにこりと微笑んでくれるのが、どこかくすぐったい気がした。
会議はいつもアメリカがはしゃいで取り仕切り、横槍を入れた俺にまたフランスが邪魔を入れる。
フランスとはいつも口喧嘩をし、中国は呆れて全く違う意見を出し始める。
その様子を、ソ連はいつもにこにこと笑みを浮かべて見ているのだった。

「――ソビエト!」
「イギリスくん?」
声をかけると、ソビエトはふわりと白いマフラーを翻し、振り返った。
「お前、以前俺んち来たいって言ってただろ」
記憶を頼りにだったが、確かに彼はそう言っていた筈だ。
「…うん。確かに、そんなこと言ったね」
思い出すようにソビエトは呟いた。
「今度、俺が直々に案内してやる。だから…一度、来いよ。遊びに」
「え……」
ソビエトはどこか、とても驚いたような表情を見せた。
「ま、まあ…暇だったら、だ。無理して来い、ってわけじゃ」
「ほんと?今度、遊びに行ってもいいの?」
信じられないような口調で訪ねてくる彼に、少し違和感を感じたが、俺は頷いた。
「ああ!お前さえよければな。おすすめの場所、たくさん考えとくぜ」
「嬉しい!ありがとイギリスくんっ。僕、絶対遊びに行くよ!」
大きな体ががばっと抱き締めてきた。俺は驚いたが、ソビエトは本当に嬉しそうに、微笑むのだ。
「お…おう。待ってるからよ」
その時の、本当に嬉しそうに微笑んだソビエトの顔が、どこかに焼き付いて離れなかった。


それから二週間後、ソビエトは本当に遊びに来た。
俺はイギリス国内の自慢の自然や建物、至る場所を教えて回ったが、彼が特に喜んだのはなんと俺の庭だった。
俺の入れた紅茶を飲みながら、ソビエトは落ち着かないようすで庭を見渡している。
そんな彼に差し入れのスコーンを渡したら、彼はひと口食べて微妙な顔をしていた。
「イギリスくん家て、たくさん植物が育ってるね。羨ましいなあ」
「種ならいっぱいあるからやるぜ?頑張って育ててみろよ」
北国の地は冬が恐ろしく寒い上に、長い。大地は凍りつき、植物の根を、葉を、花を、全てを凍らせてしまうのだ。
「僕はね、あったかいところで、ひまわりに囲まれて暮らすことが夢なんだー」
短い夏がそれを叶えてくれたらいいな、なんて呟く彼はもじもじと自分の夢を語る。
とても核兵器を大量に保持する大国の夢とは思えない言葉。けれど、それが嘘ではないと俺は分かった。

「ねぇ、また来てもいいかな?今度はもっと、花盛りの春の日に」
「ああ、いつでも来いよ。歓迎するぜ」
「うん、絶対に。約束だよ」
そっと差し出された小指に、自分の小指を絡めて指切りをした。
やっぱり彼の手は冷たかった。




けれど、約束はずっと果たされなかった。
それどころか、会議ですらソビエトには会えなくなった。
「…ソビエトの奴、一体どうしたんだよ…」
落ち込んだ様子に、フランスは身を乗り出して言ったのだ。
「知らないのかよ?今、ソビエトは解体を始めてるぜ。たぶん、誰かしら消滅が始まるかもしれないな」
「な……!?」
俺は、気を緩めて彼の国の情報を知り損ねていたことを、酷く公開した。その時になって。
会議が終わってから、すぐに俺はソビエトにとんだ。向こうに着くまで、俺はずっとソビエトのあのふわふわした笑顔を思い出していた。











ソビエトは相変わらず寒くて、どこもかしこも凍りついて一面白い世界が続いていた。
その時、ようやく分かったのだ。
彼がどこにでもありそうな、ごく平凡な俺の家の庭に興味を持ったことを。
息も切れぎれに、俺は彼の家へ急いだ。地図を頼りに向うと、殺風景な雪原の中にその家はあった。
とても大きい家だ。

以前、彼はたくさんの兄弟や仲間と住んでいる、と言っていた。
しかし、ベルを鳴らすと暫く音の一つもしなかった。僅かに見える庭は、もう大分長い事手入れがされていないように見えた。
「……」
暫く待って、再びベルを鳴らすと、静かに扉が開かれて、一人の男が現れた。
珍しい風貌の男だ。
銀の髪もそうだったが、何よりもラズベリーのような紅の瞳が目をひいた。まるでソビエトにそっくりな配色である。
しかし、彼の纏う雰囲気とはまた違った鋭さが見えていた。
男は黙ったまま、「あいつに用か?」とだけ聞いた。
俺は頷いて、
「あいつが無事か、確かめに来たんだ。…あいつは」
その瞬間、男の辛そうな表情が微かに見えた。が、すぐに無表情になり、こう言った。
「あいつは、眠ってる」
「眠って…?」
「少し前…ここに住んでた奴らが去ることを決めた。それから間もなく、あいつは酷く眠いと言い出した」
眠り。深い眠りは、国として消滅を促す現象の一つだった。



「入れ」
促されるままに、家の中に入る。広い家なのに、人気が全く無かった。
これじゃ外の雪原とたいして変わらないじゃないか。俺は胸がきゅっと締め付けられていく気がした。
「あいつの仲間、妹、姉。皆、去っていった。じき、俺も去る」
「そんな…っ、じゃあ、あいつは一人でどうするんだよ?」
男は振り返った。紅の瞳がきらりと光る。
「それは平気だと言っていた。お前が、来るだろうと」
「何だよ…それ」
手紙くらい書いてくれよ。そうしたら、仕事でも何でもほっぽり出して、向かったのに。
「きっとそれだけの力も残ってなかったんだろう」
何だよそれ。手紙書くって、手に力込めるだけだろ。それもできなかったのかよ。
「深い眠りとは、そういうことだ」
何故か、こいつも経験があるのだろうか、とそんな感が頭をよぎった。
「初めの頃は、まだ時折目を開けたりしていた。だが、近頃はもうそれも…」
恐らくこいつもどこかの国なのだ。だから去ると言う。そうに違いなかった。
「俺は弟の元へ帰る。そして――弟に全てを託すつもりだ」
それは、消滅するということだったのか。
俺は、何も言葉にできなかった。ただ、「そうか」としか返すことができなかった。
恐らくこの家に居た誰もが、何かを覚悟していた。そう、ソビエトもまた。
「ここだ」
扉が開かれる。冷たい温度が肌を撫でた。
白いベッド。壁も、床も白い、部屋だ。
「……ソビエト」
男は、部屋には入ってこなかった。扉を開けたまま、入り口に立っていた。
俺はすぐに部屋に入り、彼の顔を覗き込む。少し痩せていた。
頬に熱はなく、ただ白い顔がそこに覗いていた。
息はしている。だが、その呼吸音が酷く深い。まるで雪原の深い地まで沈んでいくかのような。
「正確にはもうソビエトは亡くなる。解体していく。どこまでこいつの国が残るかは分からない」
「ってめ…!」
俺は思わず男の胸ぐらを掴んでいた。掴んでから、男の首筋を見る。酷く白く、細かった。そしてその紅い瞳もまた、鋭く冷えきっていた。
「俺がどうにかできることでもないし、こうなる原因をつくったのも俺じゃない」
時の流れ、というやつだろう?
分かったことだ。既に長い年月を重ねてきた国である己だ。そんなことなど既に知っている。
だけど、分かりたくなかった。ただの我儘だ。

「約束…したろ?また、俺の家に……春の花盛りに、来る、って……」
答えは無い。返事はない。男は何も言わなかった。
ただ、優しい顔をしていた。残酷なほど、優しい眼差しが俺とソビエトを捉えていた。
「そいつを、頼む」
その時を最後に、銀の髪と紅の目を持った男を見ることはなくなった。恐らく去ったのだろう。

その家には、確かに多くの人が生活していた跡が至るところに残っていた。
いくつものティーカップ。広いテーブルにクロスがかかっている。しかしどこも埃がかなり積もっている。触れた形跡も見られなかった。
椅子は幾つも並んでいて、それぞれに特徴のあるカバーがかけられていた。
棚には幾つもの紅茶のパックや、コーヒーの缶が並べられていた。確か、コーヒーは彼は飲まなかった筈だ。
白い壁に貼られた幾枚かのメモ用紙。
その日の買い出しのメモだろうか、消えかけの文字が微かに読めた。そっとそれに触れる。
用紙はカサカサに乾き黄ばんできていて、張られてからだいぶ時間が経っているのだと分かった。
長い廊下の先の窓枠の下に、花瓶が一つ、置かれていた。深い青のガラスでできた、花瓶だ。花が生けられていたのだろう、一枚の葉がしおれて花瓶の口から降りていた。

これだけ広い家なのに、今はたった一人。
彼がもし目覚めた時、一人だと知ったら彼は、どう思うだろう。
「はやく……目を覚まして、くれよ…」
今度はソビエトではないかもしれない。本当に、小さな欠片のような国になるかもしれない。
それでも構わなかった。また、一緒に俺の家に、行こう。
約束は、何百年後だって構わない。期限など、決めた覚えはないから。



その後、俺はイギリスと解体中のソビエトを行き来していた。
アメリカに「君は一体何をしているんだい?」と怪訝な顔で質問され、
フランスには「お前また何か怪しいことしてんのかよ」と嫌味を言われるくらいには。
俺はそれらの言葉には反応も示さなかった。それどころじゃなかったからだ。

案の上、ソビエトは一度も目を覚まさなかった。
それなのに、誰も見舞いに来ることは無かった。
寂しいよな。こんな強い大国だってのに、お前を気遣う奴は一人もいないんだ。
けど、俺は違う。俺だけは、お前との約束を果たすために、ここに居るんだ。忘れるなよ。
彼の家に行くたびに、俺は軽い掃除と、いつでもお茶ができるように準備を繰り返していた。







それから数年後。
ソビエトは完全に崩壊した。

あまりにあっけない終わりだった。


ばらばらになったソ連はソビエト連邦としての名を無くし、名もなき国になった。
そのことを知った朝、すぐに俺は元ソビエトにとんだ。
もしかしたら、という期待があったのだ。
また彼は新たな国になって、目を覚ますのではないかと。

けれど、そんな期待は儚くも打ち砕かれた。
部屋に入るなり、いつもと違う雰囲気に悪寒が全身を伝わった。
元ソ連は相変わらずベッドの上で、目を閉じている。
けれど。
眠っていない。そうではなかった。
「…ソビエト」
俺は彼の体を揺さぶった。何度も、何度も。
「うそだろ。……なあ、」
息が、なかったのだ。
「ソビエト!!」
普通の人間ならば、それは死の直結を指す。が、国としてはそのまま死、というわけではない。
わけではないが、消滅と関係がないわけではない。寧ろ近くなった、というべきか。
「約束……やぶったら、針千本飲ますんだろ。なぁ、おい」
白い顔は、更に白く見えた。
冷たい。熱がどこにもない。
俺は、どうしてもその体を動かすことはできなかった。












それから一年後。
思い出したように、俺は元ソビエトの家を訪れた。
吸い寄せられるように、いつもは鳴らすことのなかったベルを鳴らしたのだ。
チリン、チリリーン。
暫し間があってから、やはりな、と思ってドアノブに手をかけた。
しかし、すぐにとたとたと音が響いた。
「はーい。今、出るよ」
「………!」
以前、あれだけ聞き慣れた声。忘れる筈もなかった。
開かれた扉の向こうには――――


「やあ、イギリスくん。来てくれたんだ」

にこり。その笑顔が何故かとても暖かくて、俺は思わず涙が出そうになった。慌てて崩れかけた表情を繕って笑う。
そういえば、僕の家に招待したことはなかったよね。どうぞ、入ってよ。
招かれる手のひらを取る。やっぱり冷たい。だがその雰囲気は以前よりも和やかになった気がする。
再び微笑まれて、ようやく気付いた。瞳が、アメジストのように綺麗な紫色なのだ。

「……なあ、お前さ」
「ん?」
「ソ連は、解体したんだろ。今は、なんて国なんだ?」
元ソビエトは、ああ、と思い出したように言った。
「僕は、今はロシア。改めてよろしくね、イギリスくん」
「……ロシア」
その名は、どこかですとんと俺の中にすんなりと落ちて響き渡った。以前も帝政ロシアだったことは知っていた。

ロシア。白く切ない響きのする、固有名詞だ。
「いいと思う。お前にぴったりだ」
「ありがとう。僕も、気に入ってるんだ」
古くから馴染んだ名前だしね。むしろ――

「やめようか、そんな話は」
何かを捨て去ったように、首を振る。ロシアはどこか悲しそうに、笑っていた。
きっと、彼が再び目覚めたその時、周りには、この家には――誰も居なかった、のだろう。

「………なあ、ロシア」
「…なあに?」
そっと抱き締める、彼の体はやはり細くて。悲しいくらい、コートに覆われた体の儚さを感じて。
「辛いなら、ちゃんと辛いって言えよ」
そんな姿を見てる方が、ずっと辛ェ。
「………そう…?」
「一人だと、思ってんだろ。今も、ずっと」
「だって、独りだもの。僕は、結局独りぼっちだよ…」
諦めたような口調。一体何度期待して、その度に裏切られてきたのだろう。
「俺が居るだろ」
「…居てくれるの?」
抱きとめるその腕を弱弱しく抱くロシア。その手には戸惑いからか、震えが感じられた。
「お前が許すなら」
想っていたよりも優しく言葉になったその一言に、遂にロシアはぐしゃりと辛そうに表情を崩した。やはり無理していたのだろう。 「……寂しかったよ……僕、僕…っ」
ぱたり、と床に雫が落ちる音がした。
「ああ……分かってる…一人にはしないから…」
次第に濡れていく服の端を見つめながら、俺はずっとロシアの体を撫でていた。






「…なあロシア。覚えてるか?俺とした約束」
「うん。春の花が盛りの頃に…君の家へ行くって」
ロシアは思わず顔を綻ばせる。俺が覚えていたことが余程嬉しかったらしい。
「忘れるわけねぇだろ。お前との約束なんだぜ?」
「…でも、僕随分遅くなっちゃったから…」
「ばぁか。どれだけ掛かったってな、俺達は普通の人とは違うんだ。何百年だって、待っててやれる」
「……あは。イギリス君のそういうところ、僕すごい好きだなあ」
涙の痕を拭いながら、ロシアは微笑んだ。やはり彼はこうしてにこにこ笑っているのが一番似合う。

「とりあえず、春が明けるまでは――お前の家に居ることにする」
「え?」
流石にその言葉にはロシアも驚いたようだ。目を丸くして俺を見つめた。
「だって、君だって国の仕事が…」
「あー、どうしても行かなくちゃならない時は俺が出向けばいい。それよりも今はお前と一緒に居たい」
「イギリス君…」
ロシアの顔がほんのりと赤く染まり、また目じりが潤み始めていた。

「か、勘違いするんじゃねえよ。お前が寂しいだろうと思ってだな…」

「うん。とっても嬉しい!有難うイギリス君っ」
いきなり覆いかぶさるようにして飛び込んできたロシアに、俺は受け止めきれずに倒れ込んだ。
「お、おいロシア!」
「イギリス君、大好きだよ。君の匂いも、声も、その優しさも。……みーんな大好き」


「……俺もだよ、バカ」


思わず、イギリスは激しい嬉しさとほんの少しの恥ずかしさ、戸惑いに、変な言葉を口にしてしまっていた。
だが、その意味はちゃんとロシアに伝わったらしく、本当に嬉しそうにぎゅうっと俺の体を抱き締めてきた。
そして、再び小指と小指をきゅっと絡め合った。

「今度こそ約束だよ。イギリス君」






この冬が、明けたらきっと。












End


珍しくデレ率の高い眉毛が書けた…気がする!

なんかすごくピュアというか、プラトニックというか……友達以上恋人未満みたいな話だなー。
正直長引いてどこで切ればいいか迷ってしまった(爆。
2013,8,21






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