「まるでセインは、風のようね。」





遠い昔の事の様に思える、リンディス様のお言葉。
そうですね、とその時私は軽く返しただけだったのだが、今ではそうは思わない。



だって、お前の仮初である姿の先を、私は見てしまったから。







風の嘘






「――じゃあ、頼む」

「ああ、任せておいて」


私は、念を押す様にもう一度同じ言葉を言いたかったのだが、それはセインも解かっているだろうと思い、もう一度言う事は止めた。
もうかれこれ何年も付き合ってきて、彼が真面目にやる所はやってくれる、と私は理解しているからだ。
だから、それ以上は言わずに、
「少しの間だが、頼んだぞ」と。
「おう」

セインも力強く頷いて、「大した事は起こらないだろうけど、ケントも気を付けて。」
と言って、私を城の外まで見送ってくれた。











大した事も起こる筈など、万が一にしても確率は低い。


リキアの領地……キアランから少し外れた、オスティアとの国境近くにある町のある貴族の一時的な護衛が今回の仕事。恐らく夜には帰れるであろう。
単独での依頼、という事がセインには気に掛った様だったが、ケントは快く引き受けた。

キアランがオスティアに併合したのち、オスティアとの繋がりは一層奥深いものとなった。
とは言ってもまだなかなか馴染めない所も多く、そんな時にいい機会になるのではないか、とケントは思ったのだ。



何処からか清風が吹き付け、あまり馴れない風を運んでくる。此処は慣れた土地。自分が生まれる以前から、国であった場所。
しかし、この小さな国がこれから先も国という形であれる程、時の流れは甘いものではなかった。
次第に、懐かしさの入り混じる中に、新たな風が吹き込んでくるであろう。それがこの地への裨益となれば、幸いだとケントは思うのだ。

だから、その為には自身の努力を惜しまない。そう、心に決めていた。












場所は戻り、キアランの城内。



「…何だ、これ?」
「分かりません、恐らくは城内の地図かと……」
その言葉と渡された一枚の紙に、セインは顔を顰める。その紙には、ほぼ正確なキアランの城内の内方図が描かれていた。
所々に、出入り口を示した乱暴な矢印が描き込まれている。そして中心部には赤いバツ印………

「どうしてこんな物があるんだ…?」
「それが、どうも仲間が討った一人の山賊が持っていた物だそうで」
「……何だって?それはいつの事だ!?」
「え?えっと、確か3日程前の事かと…」
そう言い掛けて、その騎士もはっとなる。

「…!ま、まさか……」
「お前は、至急部隊長に知らせろ!」
「はい!!」



セインは、それから真っすぐ隊長室へと向かった。そして手荒に机の上を探り、一枚の書類を取り出した。

――数週間前に起きた、凶悪な山賊集団による騎士団への強襲――

あの事件では、山賊等は全て抹殺された筈だ。後から掩護に加わった騎士団の手によって。
しかし、セインにはこの事件と関わりがある様な気がしてならなかった。あれだけの数では、生き延びた者がいてもおかしくはない。
もしそうであったとしたら…
よりによって、隊長が不在の時に――。
セインは、自分の予想が外れている事を願った。






「副隊長っ!!」
「何だっ!?」
「それが………」

それは、確かにひたひたと忍びよる本性の足音。











******





「……今日は、助かりましたぞ、ケント殿」
「は、お褒めに預かり光栄です」


もう夕日が西の方に沈む頃、ケントはようやく仕事を終え、帰る事を許された。
(…この分だと、やはり城に着くのは夜になりそうだな)
ケントは手早く荷物を整え、折角だから泊まっていけという主人に礼を言いつつ其処を早々に発った。


やはり、何だかんだ言っても城が一番落ち着くのだろう。
城に向かう道を、自然と急ぐ。

(セインは、しっかりやっているだろうか?)
ふと、そんな事が気にかかる。
(いや、ああ見えてあいつだってキアランの騎士なのだ、仲間を纏めるくらいー)
そう考え、微細な不安を頭の奥へと押し込んだ。







――月の宿る水面に映りしモノは何?


足跡が聞こえる、それは貴方の敵?
幾瀬にも連なる、百眼の袂を別つのはどの筋道?



分からない、全ては、踏み出さなければ分からない……















夢だ、そう思いたかった。

自分が今見ているのはたちの悪い、悪夢であるのだと。
誰でもいい、そう言って、ほしかった。



「……違う」



そうだろう?
きっとこれは、自分に疲れが出た所為なのだろう?
……眠りを司るヒュプノスよ、お前の仕業なのであろう?
もしくは、過去の忌まわしき夢が脳裏に蘇ったのか?


「違うッ!!」


ほとんど崩れ折れる様に、ケントは馬から降りた。
いつも平凡である城は目の前。だが、此処で戦いが起きている事は分かった。


こんなんじゃない、
こんな世界は違う、全く正反対、
こんな世界は嘘だ、見たく無い。

幼稚な思考経路が、現れては消えてゆく。




「……た、いちょ……」
細々と繋がれた、その声がケントを現実に引き戻した。
「!! おい、一体何が、あったんだ…!?」
ケントの目の前に、重傷を負った兵士が身を引き摺って現れる。
その兵士の傷は相当深く、長くは持たないであろう。背中に深々と出来た、抉られた様な傷跡がその事を確信させていた。

「例の…山賊…団が……城に……ッ」
「っ! おい、おい……」
重傷を負った兵士は、そう言ったきり、もう動かなくなった。ケントは暫し黙祷を捧げ、震えを持ち始めた足をぴしゃりと叩き、すぐにまた馬に騎乗した。

(何故……こんな、時に…!!?)

ケントは、動揺を隠せず、驚きの目で辺りの惨状を見回した。酷い有様で、幾人かの騎士達の死骸が無残に散っている。
此処最近は本当に平穏で、騎士達の心も何処か緩んでいたに違いない。そこを奴等に付け入られたのであろうか。


時折、単独で族が現れたという事はあった。しかし、此処まで酷い襲撃を受けるとは……
纏めて見回り部隊が殲滅に追い込まれる程に。
(セインは何をしているのだ……!?)
城を出立する前に「任せておいて」と言っていた奴の顔が浮かぶ。


もし、隊長が不在の今、副隊長が殺られたりする事態になれば―――

ああ見えてセインは、この城中の騎士達の中でも実力は相当のものだ。
まず城内で彼に敵う者は居ないだろう。 ケントを除けば。そんな彼が殺されてしまえば、城内はあっという間に制圧され、恐らく生き残った者たちは全て殺されてしまうだろう。
女子供ならまだしも、一度反旗を翻せば厄介になるであろう力を持つ男達の事だ。そのくらい、力ばかりの賊であっても考えるだろう…そうならない事を祈るばかりだが。
と、


「!!」


ヒュン―――

少し上擦った様な、風を斬った音。ケントは咄嗟に片手に持った盾を振り上げた。


カカカッ!!

途端に雨の様に矢がケントに向かって降り注ぎ、盾に地面に数え切れない程の矢が刺さる。
すぐにその場を駆け抜けるが、矢が何処から放たれたのか分からない。相手は隠れているのだろうか、一人も敵を見る事は無かった。



――――ぽつ、ぽつっ………



こんな時に、雨まで降り出してきた。天候まで、邪魔をする気なのだろうか。
…それよりも、この酷い状況は次第にあの出来事を彷彿させてしまった。その事にケントは頭を抱えつつも、立ち止まろうとはしなかった。

城に近付くにつれて雨は次第に激しくなり、からりと乾ききっていた大地をどす黒く塗り染めてゆく。急な温度変化で起きた霧が、ぼんやりと揺れ動く無数の腕の様に見えてきてしまう。



「―――セイン! セインは居るか!!」 

ケントはありったけの声で叫んだが、その返事が返ってくる事はなかった。その事が、余計にケントの不安を募らせる。

初めに主塔を目指したが、まもなくその天辺の窓から番人の者が落とされるのを目撃し、仕方なく引き返した。
塔に登れば辺り一帯の様子が分かるかと思ったのだが、それは無理であると瞬間悟ったからである。入口は崩れ、既に多くの山賊達が入り込んできているのだろう。
無残に扉は蹴破られ、門番の騎士達は酷く血に塗れ、その全身が真っ赤に打ちのめされるまで、攻撃されたと思しき痛々しい姿をその場に横たわらせていた。ケントは思わず立ち止りそうになってしまったが、今は彼等の事を悼んでいる暇はない。すまないと、微かに謝りながら、セインの姿を探す事に専念する。
跳ね上がり掛けた跳ね橋を思いっきり踏み、門を潜るとより一層生臭い匂いに包まれる。何処もかしこも血生臭さが拭えず、思わずケントは鼻を押さえた。

「…ケント隊長!」
前方からの声に顔を上げると、一人の兵士の姿があった。
「無事だったのか!?」
「ええ、セイン副隊長のお陰で……」
「セインが?あいつも無事なのか!?」
「えぇ、でも……」
そこで兵士は口を閉ざしてしまった。
その様子には何処か不安の影が差しているのが分かる。
「…何だ?」
「あの……今は、近付かない方がいいかと」
「…何故だ?どうせあいつの事だから一人で戦っているんだろう!?」
そう言って、兵士の体を揺すぶる。
「一人です……だからこそ、近付かない方がいいと言っているんです!!」
「何だと……?」
「皆、加勢しました!副隊長に……っでも!」
兵士の声が震える。

「セイン副隊長は……加勢した仲間達も一緒に殺したんです…」

「な………」
邪魔だ、の一言で。
その言葉に、絶望感が体を満たす。
「最初は夢だと思いました…でも、副隊長は……っ」
兵士の言葉が上手く飲み込めない。信じられない、事実だった。
だが。


「…セインは何処にいる」
「! ケント隊長…」
「あいつは、私が止める。否、止めねばならん」
私の、手で。
そうしなければ、ならない気がした。
「隊長………」
「頼む。セインは一体何処にいる?」
「…………あちらの方向、です」
兵士は辛そうに指差し、ご武運を、と小さく呟いた。その言葉に確かに頷き、兵士の方は他の者との合流を促して別れた。

建物の壁にはべっとりと大量の血がこびり付き、赤く染めている。階段には幾多の死体がごろごろと転がり、一瞬此処が本当に城内なのかと思わせた程だ。
しかし、ここまで戦場と化してしまっては、遠慮も何もない。美しく飾られていた調度品やら彫刻やらは無残に荒らされ、その美しさをただ惨いものへと変えていた。





―――――がっ。


何かが壁に勢いよく叩き付けられた様な音が響き、目の前で壁が吹き飛ぶ。
爆風に包まれ、風が巻き起こる度に叫び声やら、血生臭い匂いやらが五感を塞いでいく。
塞ぎたい。でも、目を逸らす事が出来ない。

「セ、イン………」


其処に居たのは他の誰でもない、探していた相棒の姿。
同時に、彼ではないと咄嗟に反応した体。
しかし、その鎧は新緑の緑ではない。ケントと同じ、赤だった。
全て返り血なのだろう。だが、その姿は普段の彼とは似ても似つかない姿だった。

ぶわっ、と再び上がる悲鳴と血しぶき。どかっ、と壁に叩き付けられた者が居たかと思えば、素早く首を刎ねられる。
その光景に、ぞわりと背筋に何かが走る感覚がした。しかしその原因は紛れもなく、彼のしている事なのだ。

紛れて、見知った顔の者が紛れていた事にケントは気付く。寸での所で手を伸ばすが、もう少し、だが間に合わない。
「ッ!!」
相手もそれに気付き、今にも泣きそうな表情で手を精一杯に伸ばしてくるのが分かった。
しかしそれは無碍にも一本の槍によって断ち切られ、後少しでケントに届きそうだった手はびくんと跳ね上がり、動かなくなった。
そしてがくんと崩れ落ち、次の瞬間目の前に槍が迫った。

「……何で…っ」
ケントはぎりぎりで剣を抜き放ち、するりと相手の攻撃を仰け反ってかわした。ざっ、と地面の様な感覚が残り、床に手を付くとぬらりと血濡れた感触が手に広がる。
がつりと床に剣を付きたて、崩れた体制を直すと今度は上から槍が迫ってくるのが見えた。一瞬でも気を抜けば殺られる―――――その事が、耳元でがんがん鳴り響く様に知らせてくる。

「何で……殺したんだ……ッ!!」
泣きたいのか、泣いているのかも分からない声で絞り出した言葉に、返されたセインの言葉は心ない言葉だった。


「邪魔なんだよ」
 

「……そ、うか…」
信じられない。
信じたくない。

まさか、セインが。





この手で、救えるものが何も無いと感じてしまった時。
己の行動が全ての子の城の兵士達の生死を分かつと、あまりに重い責任感に押し潰されてしまいそうになった時。
何もかも投げ出して楽になってしまえたら、と自暴自棄してしまいそうになった時。



どれもこれも全て、
“俺がついてるから”
と温かい手を差し伸べてくれたのは。




――――紛れも無く、セインだった。







「セイン……」
もうセインは返事を返してくれない。
勿論いつも自分を元気付けてくれたあの温かい手が差し述べられる事も、ない。
彼をこのまま放っておけば、山賊、自分達共に殺されるのだろう。今はもう、友情など夢にも形作る事は出来ない。
一度壊してしまったもの、一度壊れてしまったものはもう戻す事は、不可能に近い。ましてや友情などと。
“邪魔、なんだよ”
あいつはそう呟いた。確かにそう呟いたのだ。まるで今まで共に分かち合ってきたもの、隔ててきたもの全てが忌々しく存在しているかの様に。
全ては嘘。風の様にくるくると変わっていくかの様に。
どうなったにしろ、今このままで終わらせる訳にはいかなくなってしまった。拳に、辛い苦しみと許せない怒りとやるせない悲しみを秘めて、握り込めた。
「……覚悟、を」
密かにそれだけ呟いて、隠し持っていたナイフを手に取り、冷たい温度を感じながらセイン目掛けて走った。



狙うは首元。
一瞬の痛みだ、許してくれ――――







そう謝るのをくりかえして、ケントは彼の首元にその刃を振り翳した。















End


……いやー暗い話というと何だかいろいろ重いですね...
仕方ないか、こういう話も好きだから←
セインご乱心のご様子でした. 2010,5,31 



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