<触れる儚雪>








夜が明けた。


肌に、寒々しい風が当たった。
どうやら、今朝は冷え込んでいる様だ。




「……ふぁぁ」


「起きたか」

「……え?」


気が付けば、見慣れない光景。
いつもと違う香り。

そして、見慣れない男が目の前に座っていた。
全くもって暖かみを感じない存在が、目の前に。



「…馬超殿」

「起きたならさっさと去れ」
「…どうして此処に?」
趙雲はこの状況に対して訳が分からず、思わず聞いてしまった。
すると、間髪入れずに彼の鋭い双眸に睨まれた。

「貴様が昨夜俺の部屋で寝たのだろうが」
その声は酷く静かだが、不機嫌な様子は変わらない。

「それは…失礼いたしました」
「…殺してやってもよかったんだがな」
そう言い放った馬超は、酷く冷めた眼つきで此方を見下ろしている。
昨夜とは違い、更に薄い着物で、兜の変わりに白い布で頭を覆っていた。

先程の馬超の言葉に、ふいに辺りを見回せば、部屋の片隅に短剣が放り出される様に置かれていた。
昨夜も、あれを喉元に突き付けられていたのである。
あの刃の餌食にされなかっただけ、感謝するべきだろう、と趙雲はほうっと息を吐いた。


「……その様な薄着で、寒くないのですか?」

「………」
馬超は何も答えず、唯外を眺めている様だった。
趙雲も何かと思わず外に目をやると、外は白銀の世界へと変わっていた。
どうりでいつもよりも寒く感じた筈である。


「……綺麗ですね」
「雪、というらしいな」
ぽつり、と吐かれた言葉に、趙雲ははっとした。

「馬超殿は、雪を御存じないのですか?」
「俺の故郷では、こういう事など起こらなかった」
「そうだったのですか…」
「………」
眩しそうに外の見慣れない様子を眺めている彼の姿は、酷く不思議に、趙雲の目に映った。

「触れてみたらどうです?冷たいですけど」
「………確かに」
馬超はそっと手で触れ、ぽろりと落ちた雪を見て彼自身も不思議そうな顔をする。



「何と儚いものなのだろうな…雪というものは」


「……!」



その時、趙雲は思わず彼に手を伸ばしてしまいそうになった。
衝動的に、である。
その行動を抑えた変わりに、言葉が零れた。



「…貴方は何故そんな顔をなさるのです?」
「何?」
「だって……貴方が」








貴方がそんなにも……寂しそうな、顔をするから








「……気の所為だろう」
「そうかも、しれませんね」


いいえ

貴方は確かに寂しそうでしたよ


言えばまた何をされるか分かりませんから、言いませんが


“錦”と呼ばれた者、けれどもこの時、趙雲には“白銀”の方が近いと思った。
誰よりも雪の様に儚く、どんな雪よりも美しい、男だと。
手を伸ばしてしまえばそれっきり、雪の様に溶けて消え去ってしまうのではないかと。






「……大体、起きたのならばさっさと去れと言った筈だが」

「ああ、そうでしたね」
でも、と趙雲は馬超に近付く。

「まだ、名前を申し上げておりませんでした」
「……別に、お前みたいな奴の事など――」
「同じ五虎大将軍の者でしょう?」
自己紹介くらいは、と趙雲は微笑みかける。
そう言うと、馬超は驚いた表情を見せた。

「……では、貴殿は……」


「…改められなくても結構です、私は貴方より後に任命されましたから」
丁寧に言い返して、趙雲は手を静かに合わせた。
肩にさらりと掛った黒髪が揺れる。

「私は姓を趙、名を雲。…字を子龍、と」
「俺は……言わずとも、分かっているか」
「そうですね、昨夜は失礼致しましたが…こうして会えて良かった」
「……最初は可笑しな奴としか思わなかった」
「…そうですね。あの時間帯は、流石に……」
思わず、笑いが込み上げてくる。
その様子に、馬超の方は微妙な反応を見せたが、結局は軽く笑ってしまっていた。

「…趙将軍は確か、劉備殿のご子息の阿斗様を救われたと聞いたが」
「確かに、それは私です」
「では、相当の実力を持っているのだろうな」
「ご期待に添えれば嬉しいのですがね」
そんな風に、控え目に返すと、
「いずれ、手合わせを願いたいものだ」
と、落ち着いているが嬉しそうな口ぶりで返される。
「ええ、その時は全力を持ってお相手させて頂きますよ」
そう返した顔は、酷く爽やかであった。

「まずは、貴方の事をもっと知りたいです」
「……大して面白くもないだろうに、そんな事」
そっけない貴方の返事さえも、私には虜となって見えてしまう事を、彼は知る筈もない。



「まずは俺と手合わせして破ってみろ、慣れ合いはそれからだ」
「ええ、そうさせてもらいましょうか」
「望む所だな」




彼が答えたのと同時に、しゃらんと優しく雪が木から滑り落ちた。

微かに、くすりと笑った彼の顔が、酷く私の心を揺さぶったのは、まだ秘密の事である。








End


こうして話させてみれば以外にも通じそうな相手だったりするんだと思います、馬超は。
そんな意外な性格が、きっと人を惹き付けてやまないんだろうな。



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