リリリリン。
電話が鳴る。それは急を知らせる連絡。

「お願いです、あの人を止めてください……っ!」
縋るように繰り返す「助けて」の元が誰であるのか、アメリカにはいまいち分からなかった。
けれど。
「貴方はヒーローなんでしょう?お願いですから、どうか」
あの人を助けて。電話の声はそう願う。











耳に届くその想い







――ああ、耳鳴りが酷い。ざわめいている。



彼の家に行くと、電話をしてきた彼が出迎えてくれた。
その顔はげっそりと青白く落ちくぼんでいて、何日か寝ていないように見えた。
「それで?その人ってのは?」
「貴方が最もよく知る人です」
あの扉の向こうに、と弱弱しく指された部屋。ただ嫌な予感が、した。
鍵がかかっているわけでもなく、ただ。
「………」
酷い酒の匂いが、した。脳を奥から犯していくような、深い毒の香り。




「…何してるんだい、君」
「…アメリカ、君?変だな、君が僕の家に来るなんて。」
夢を見てるのかな、とくすくす笑う。感情のない声で、笑う。
床には数えきれないほどの酒の瓶が転がっていた。部屋の空気は籠っている。
恐らく、もう数日は部屋を解放していなかったに違いない。
「リトアニアが心配してるじゃないか」
「心配?…何言ってるの」
僕は元気だし、倒れてもいないじゃない。可笑しいリトアニア。
乾いた笑い声は止むことを知らない。
「いい加減目を覚ましたらどうだい」
―――ロシア。
「何言ってるのアメリカ君、僕はとっくに起きてるじゃない」
今にも零れ落ちそうな紫の瞳が潤んでいる。
彼が一言話すたびに、毒の香りが鼻をついた。
「酒、飲み過ぎじゃないかい」
「…だって、これが僕の燃料だもの。燃料がなくなったら動かなくなっちゃう。車と一緒でしょ?」
「だからって」
これは。酷過ぎる。この様子だと、ろくに食事も摂っていないに違いない。
「とにかく、酒は没収なんだぞ」
床に散らばった、まだ酒の入った瓶を集めて箱に詰めてしまう。
「ええ……」
酷いよ、アメリカ君。
縋るように、ねだるようにアメリカにすり寄ってくるロシアは、酷く情けない格好だった。
「ねぇ、アメリカ君…。ふふふ」
「なんだい、少し横になったらどうだい」
「だって眠れないんだもの…」



耳鳴りが、するんだ。

いつから?

それは一体、いつから?




「酒を飲んでると、耳鳴りが少し収まるんだよ。だから…お願い、アメリカ君」
かえして、弱弱しく伸ばされた手をやんわりと払いのける。
ロシアの酒の強さは知っている。だがこれはいくらなんでも酷い。
イギリスのように簡単に酒に酔うこともないから、なおさら厄介なのだ。
「いい加減落ち着けよ、ロシア……!」
「君は分からないの?この耳鳴りが…」
止んで。お願い、どうか静かになって!
この胸の鼓動よりも、自分の悲鳴よりも、ずっと響き続けるこの耳鳴りを。
「アメリカ君……お願いだから」
「落ち着け、ロシアっ」
ぐいと腕を押さえつけると、とうとうロシアはぽろぽろと泣き出した。
「ぅ…っく……ひ、ぅ…」
「……ロシア」
一体、いつもの君はどこへいったんだい?そんな皮肉も口から出ることはなかった。
それほどまでに、今のロシアは酷く弱く見えた。
「どうしたんだい?君は一体、何を言ってる?」
「…手を」
そっと、アメリカの手を耳元にあてる。
「………」
「ロシア?」
「アメリカ君の手。……何だか、落ち着く」
「そうかい?」
「うん……“音”がだいぶ止むんだ……」
ようやく落ち着いた、とでも言うように、ロシアはほうと息を吐いた。
彼から吐かれた息は、やはり強い酒の香りがした。






「……」
「…どうでしたか」
「一応、眠ったよ」
「そうですか…」
それだけ聞くと、ようやくリトアニアは落ち着いたようだった。
「彼は一体いつから、あの状態に?」
「分からないんです。…久しぶりにこの家に来たら、あんなことになっていて」
「そうか…」
彼は、耳鳴りが、と言っていた。
自分の耳にも感じる、微かな耳鳴り。それが酷く聞こえるのだと彼は言った。
それが一体何を意味しているのか、アメリカには分からない。

(警告?…だとしたら一体何の?)

答えは出ない。アメリカはとりあえず考えるのを一旦止める。
ロシアは弱っているのだ。それだけは見ているだけで分かる。
いくら国象である自分たちが丈夫だからとはいえ、栄養を摂らなければ体は弱るし、傷つけば痛いと感じる。
酒を飲めば当然酔うし、経済や革命に連動して風邪もひいたりする。
ロシアが眠っている間に、部屋の掃除をした。
数えきれないほどの瓶が散らばり、ベッドの足元には血痕が残っていた。

死んだように眠るロシアの傍で、アメリカはやりきれない気持ちになった。
(病院にでも、連れて行った方がいいんだろうか)
ロシアにそう言ったところで、すんなり頷いてもらえるわけがないのは知っているが。

「いろいろとすみません。片付けまで手伝わせてしまって」
こういうことは俺の仕事なのに、と済まなさそうにリトアニアは言った。
「そんなことはいいよ。それより、君も少し休んだ方がいい」
「…そうですね。それじゃ、お言葉に甘えます」
ほんのすこしだけ、と律儀にお辞儀をして離れの部屋へ歩いていくリトアニア。
彼の国が独立した今、この家の主の世話をやく必要は彼にはない。本当に律儀な男だ、とアメリカは背中を見送りながら思った。




それからどのくらい時間が経っただろう。
どこかからがたん、と音がしてアメリカは目を覚ました。
「……ん…」
いつの間に自分も寝てしまっていたのだろう。部屋はどこも薄暗く、リトアニアもまだ起きてきてはいないらしい。
カチリと明かりを付け、真っ先にロシアの部屋へと向かう。
気の所為でなければ、先程の物音はロシアの部屋からに違いなかった。
「……ロシア!!」
部屋には、崩れるようにして倒れたロシアの体があった。
起きていたのか、とアメリカは彼を助け起こす。
だが、その彼の下に瓶がカランと転がり、それを見た途端にアメリカの表情が変わった。
「これ…睡眠薬じゃないかい!なんでこんな…」
まさかそのままで?と考えたが、傍の瓶を見てまたも呆れてしまう。
「いつの間に酒を…」
「ぁ…アメリカ、く……?」
先程よりもさらに弱弱しい声で、ロシアがゆっくりと口を開いた。
「何してるんだい!?自殺でもしたかったのかい!」
「ふふ……そんなんじゃ、ないよ……」
ロシアは可笑しいという風に、口を曲げた。上手く笑顔が作れていない。
「……ロシア、さん…!?」
「リトアニア、水を持ってきてくれるかい」
「はっ、はい…」
ばたばた、とリトアニアが駆けていく音がする。
ロシアの目はほとんど開いてはいなかった。夢と現実の狭間で揺れているような。
どこまでも不安定に。
「ね…もう、帰れば?……君がここに、いる必要、ない……でしょ?」
「何言ってるんだ、俺は……俺は、君が―――」
その先を伝える前に、彼は完全に意識を失った。

「水、持ってきましたけど…」
「…もう、遅かったみたいなんだぞ」
「それ…睡眠薬、ですか?」
「ああ」
瓶を手に渡すと、彼がぽつりと言った。
「これ…昨日は、半分以上あった筈なんですけど…」
「!!?」
だって。
手渡した瓶には、ほとんど数えるほどしか粒が残っていなかったから。
「普通の人なら…、確実に死んでますよ」
そう言われた言葉が、幻のように震えて聞こえた。





「…このままだったら、どうしましょうね」
ぽつりと吐かれた言葉は、冗談で吹き飛ばせない重みがあった。
「…そうでないことを、祈るよ」
黙り込んだアメリカに、リトアニアが気をきかせて紅茶を差し出してきた。
「何だか、こうしていると昔のようだな」
「…ええ、懐かしいですね」
リトアニアも穏やかに頷く。
「…ロシアさん、よく、貴方のことを話しておいででしたよ」
「へぇ、俺のことを?」
「本当に飽きない人だ、って……」
「はは、そうなんだ」
会えば喧嘩ばかりしていて、とてもそんなことはないだろうと思っていたのに。
せいぜい目ざわりだとか、さっさと消えてほしいとか、そんな程度だと思っていた。
「会議でも、帰ってくると友達の顔が見られるからと…嬉しそうに」
話していたんです、と彼も紅茶に口を付けた。
「友達…か」
友達。その中に、自分は入っていたのだろうか。
そんなことは、全く考えたことがなかった。
一応連合の仲まで、大国同士戦争までした間柄で、結局は個人的にも仲はあまり良くなくて。

(結局、君の気持ちを俺は何も聞いてない)
けれど、どこかで聞くことを怖いと思っている自分もいる。臆病なのだ、と思う。
結局は、嫌われることが怖いだけなのかもしれない。
HEROが、聞いて呆れるものだ。
(今度は、友達になろうって、君に言ったら――君はどういう反応をするんだろう?)
彼は、嫌がるだろうか。喜ぶだろうか。それとも、呆れる、だろうか。
「…俺、時々思うんです。俺がアメリカさんだったらって」
「…俺かい?」
「はい。そしたら、もう少しロシアさんと対等な立場で、いられたのかなって…」
「……どうだろうな」
「でも、俺は俺だし、アメリカさんはアメリカさんですから。今更どうのこうの言ったって、何も変わらないんです」
ロシアさんがロシアさんであることと同じように。
「ですから、アメリカさん」
「なんだい?」
「ロシアさんを、どうか助けてやってください」
どうか、お願いです。
リトアニアは静かに言う。自分にできないことを。
そう告げて柔らかにお辞儀をした。
「……」








「リトアニアは、どうしてこの家に?」
「俺は、もともと時々ロシアさんに頼まれて仕事の手伝いに来ていたんです。一か月に一回とか、半年に一回とか」
「じゃあ、それで?」
「いえ、今回は、ロシアさんから連絡があって……何も言われないまま、切られたんですけどね」
何だか胸騒ぎがしたんです、とリトアニアは言う。
「この家に着いたら、部屋は荒れていて、ロシアさんは半分混乱状態でした」
何とか宥めたり、時には安定剤や睡眠薬も使ったんですけど、ついに限界がきてしまって、と続けた。
「それで俺を?」
「はい。アメリカさんなら、何とかできるんじゃないかと…」
それは、ほとんど直観のようなものだった。彼なら、そんな直観が。
「けど、俺には止められなかった」
「そうでしょうか」
「…?」
「本当に、あれで終わりですか?アメリカさんはヒーローなんでしょう?こんなことで諦めないんじゃないですか」
俺は信じてます、とリトアニアは言い切る。その気迫に、アメリカは逆に気圧される気がした。

「…全く、君ってやつは」
諦めたつもりはない。こんなことで、へこたれるヒーローなんて、ヒーローじゃない。
大事な人一人救えないで、何がヒーローだ。アメリカはそう思っていた。

「ロシアさんは、いつも言っていました。耳鳴りが、酷くするのだと――」
「……?」








ああ、耳鳴りが、耳の奥から、響き渡る低音が。
聞こえてくる。彼が、やってくる―――。


酷く、煩いそれが。

いい加減目覚めてしまえと。










それから一旦リトアニアを帰国させ、自分はロシアの様子を見続けることにした。
またいつ目を覚ますか分からないからだ。だが、あれだけ睡眠薬を飲んだ所為か、寝息は酷く深いようで、全く目覚める気配がなかった。
もしかしたら、こうして意識を飛ばしている方が、ずっとロシアにとっては楽なことなのかもしれない。けれど。
(君の綺麗な瞳が見えないままなんて、寂しいじゃないか)
まだ君に俺の気持ちを何一つ、伝えられていないんだ。
(…はやく、目を覚ましてくれよ)
そして、その綺麗な瞳で俺を見てくれよ。ロシア。


















その願いが聞き届けられたのは、それから一週間後のこと。

「………」
「…ロシア?」
ぱちり。
何も言わず、ゆっくりと開かれた瞳は、鮮やかなピジョンブラッド。
「ロシア、きみ…」
「ロシア?ああ、今の名前か」
口から零れた声は、いつものそれよりもずっと重たく聞えた。
「!誰だ、君は」
ほとんど直観でロシアを睨み付ける。すると、彼はくすりと笑った。
今度は感情のこもった笑みで。酷く此方を軽蔑するような、冷めた笑みだ。

「初めまして、じゃないよね?―――アメリカ」
「な…」
ぐいっと顔が近づき、嫌な笑い声が耳を襲う。
「そんなに怯えなくてもいいじゃない。君は僕に勝ったんだから」
「君は…まさか」
「そう。僕はソビエト。久しぶりだなあ、この体で出てくるのは」
何だかお腹空いちゃった、などと気の抜けるようなことを言っている。
「ロシアは…ロシアはどうしたんだい!」
「ロシア?僕のことでしょ」
何言ってるの、君。
くすくすくす。
「君じゃない。いつもの優しい、紫の瞳を持った――ロシアのことだよ!」
「ロシアは後の僕。僕の中で彼は眠ってる」
ゆっくりと体を起こし、ベッドから起き上がるソビエト。
アメリカは、この場にリトアニアが居なくて良かった、と思った。
とん、と床に足が降り立つ。
「ロシア……」
「アメリカ。僕はソビエトだよ。分からないの?」
「ああ。分からないね。ソビエトは崩壊したんだ。今はロシアだよ」
「君って人を苛立たせるのが上手いんだね?」
ソビエトは張り付いた笑みを一層深くする。気味の悪い顔だ、とアメリカは思った。
「はやくロシアを起こしてくれよ。君に用はないんだ」
「酷いな。目覚めて早々、お帰り願いますなんてさ」
ちょっと傷ついたふりを見せるソビエトは、どこか可笑しそうだ。
「だいたい、君にもう役目は何もないじゃないか」
「んーそう?でも僕はロシアだし。上司もちゃんと話せばわかってくれるでしょ」
大して気にとめてもいないらしい。
「体は一つだし?何よりロシアのことはちゃんと分かってるから」
何も問題はないよ。
「ふざけるなよ……っ」
ぎり、と拳を握り締める。
「俺はロシアに用があるんだっ!君なんかに用はない!!」
「……」
ピジョンブラッドの瞳が、きらりと鋭く光る。
「…それが、君の本音?」
ソビエトは少し寂しそうな顔をした。ふりではなく、ありのままの表情で。その素顔が、いつもの寂しげなロシアと重なる。
それが残酷にも、やはりロシアなのだとアメリカに思わせた。

「同じ僕なのに。体も、心も。記憶も全て、僕とロシアは同じなのに。」
君は、あの子を愛するんだね。
胸をぎゅっと抱き締め、苦しそうに目を伏せる。からっぽの己の胸を抱き、ぎゅっと握られた拳は独り孤独を握る。
「君の言うとおりなんだろうね。僕は亡霊だもの。プロイセン君よりもずっと――ずっと形の無い国なんだ」
アメリカは、咄嗟に動いていた。
「……アメ、リカ?」
「勘違いするなよ。君もあいつも、同一だってことはわかってる。……でも、君は一人じゃない」
あいつと同じなら、君もまた俺の愛すべき一部なんだってこと。
「だからお願いだ。ロシアを、起こしてくれないか…?」
「……君は全く、酷いね…」
ゆっくりとその瞳が閉じられる。
さようなら。微かに開かれた唇から、その一言が確かに聞こえた。








「……ロシア!」
崩れ落ちるロシアの体を、アメリカは慌てて抱きとめた。
「…アメリカ…君…」
僕ね、とロシアは口を開いた。
なんだか不思議な夢を見ていたよ、と。
その鮮やかな紫の瞳から、ぽろぽろと零れ落ちる透明な雫を、アメリカは優しく拭う。
「…ああ、お帰り、ロシア」
ありったけの気持ちを込めて、その額にキスをした。




















End

まさかの米蘇が入りました
リトは今回はろたまを心配している感じですかね…いや立露も好きなんですけど。
私の中で蘇はぷーちゃんのように紅の瞳を持っている設定です。
それより前の帝政時代は水色に近い紫…とかだったら綺麗だなー。
2013,8,21






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