記憶を攫う眸






「………ふぁぁ、眠いなぁ…」
「いい加減にその間抜け面を止めろ、セイン」
「だってさぁ………」
先程から、机の上に突っ伏して気だるそうにぶつぶつ喋っている青年、セイン。
そして傍らには、そんな情けない彼を相変わらずの様に窘める、同じく同年代のケント。

そんな彼等を挟んで、真ん中には崩れんばかりに山積みにされた書類。幾らその紙を捲っても捲っても、見えてくるのは小難しい文章の羅列。
その内容など、上げればキリがない。長期に渡った戦後の処理、損壊、紛失した分の武器や資材の確認……
それよりも優先するべきは、オスティアに送る何枚もの重要な確認書類。
いつの間にか、彼等の居る場所には夕日による影が無数に落ちていた。
「お前の方が変だよ、毎日こんな紙ばっかり、相手にしてさぁ……」
「いいから黙って手を動かせ、気が散る」
ケントはさらさらと手を動かし、セインにまともに構う気配は全くない。
「……全く、こんな書類ばっかり相手にしてるからリンディス様も――」
「煩い!」
「あいたっ!!」
バシン、と大きな音がして、それで起こした風でまた書類がばさりと散った。これで何度目だろうか、彼等の向かう机の下にまで、散乱した書類。
このまま放っておけば、明日にでも纏められて塵にされてしまうのは目に見えている状況だった。

……だからこそ、ケントは今日中にこれらを纏めなくては、と考えていたのだが―――
「……はぁ」
隣には、こういう職務に関してはあまりにも頼りない、副隊長。少し前までの、度重なる戦闘では頼りになっていたものの……
「なぁケント、この文章って、どういう意味?」
「………」
本当に、頼れるものとは程遠いのである。
…セインの、翡翠色の瞳が親しげに、此方を見ている。
呆れた奴だ―――

馬鹿者、そんな顔をするな。
いい加減に、少しは真面目にしろ。
貴様は、いつもそうやって――――…


自身でも呆れる、小言に繋がる一言一言。
…どうして、ここまで言う様になってしまったのか。
あの時も、そうだった………。




―――数か月前。

「…終わりましたよ、あっさり退いてくれました」
隊長殿に告げる、澄んだセインの高らかな、声。その声に実際自分は何度励まされたか。
その時は、案外早く戦闘が終わった時の事だった。

「セイン!」
「お、ケント」
「……お前は、その格好でリンディス様の元へ報告しに行くつもりか?」
ケントはじろりとセインを睨み付ける。
「へ?」
セインは、自身を見下ろして、ケントの睨む様な視線の先を確かめる。
「……別に、構わないだろ?」
「別に、だと?……そんな血まみれの姿で来られたら、気分を害されるだろう!」
「ああ、血かぁ」
「それに、剣はすぐに仕舞え、危なっかしい」
「……はいはい、分かったって」
セインは軽く手をヒラヒラさせて、ケントの横を擦れ違って行く。
「…リンディス様にも、それ以外の女性にも変に余計な声掛けをするなよ!」
「だから分かってるって!!」
セインは呆れた様で空を仰ぐように叫んで、走って行ってしまった。

………今思えば、本当に情けない。
まるで子を叱る母親の様に、向きになって。
セインは、いつもの様に呆れているのか笑って、流している様だけれど。本当に正すべきなのは、自分ではないのか?
自分がもう少し、セインに対しても、何に対しても、優しく考えていれば―――


「…どしたの、やけに黙ったままだけど」
「……あ」
手元の書類から気が離れていた事に気付く。
「もしかして、リンディス様の事でも考えてた?」
「そういう訳では…」
本当にそういう訳ではなかったのだが、セインは続ける。
「別に何だろうと隠さなくってもいいだろ、もう………」
セインは、途中から、言葉を濁す。その目は、辛そうな感情を抑え込んでいる様だった。
「………」
「もう…リンディス様は、居ないんだから……」
隠しても、隠しきれない事。
見えない様で、十分に、目の前にある現実。
「分かっている…」



私を、彼を……新たな道に導いて下さった彼女は…もう、此処には居ない。
きっと…きっと今は、母なる大地の元に、彼女の御身が在る筈。
ただただ、元気であられる事を、それだけを、望む…のみ。

“元気でね、ケント、セイン…キアランを、私の、貴方達にとっての、もう一つの宝物を…お願いね……”

最後の、貴方の言葉。
涙は出なかった。 けれど、いつもの笑顔で送り出す事も、出来なかった。
ただ、“分かりました”とだけ。
セインも、“十分承知してますよ、俺達が従うのは貴方だけですから”と。
彼女も最後は微かに微笑んで、それで。
静かに、風の様に貴方の最初の宝物が残る、故郷へと帰って行かれた………





――――ばさっ。

我に返れば、視界は真っ白で。
「…………何だ、一体」
「考えるのも、思い出すのも、一旦終了」
そう言って、ケントの顔から書類を離した。しかも大事な書類の一枚である。
「………」
何だ、お前は人の頭の中でも見ているつもりか。そう思ってしまえば、
「文句も、ね」
「………っ」
……呆れて、言い返す気分にもならなかった。
「……とにかく、さ。 これ以上は、止めとこう? ……足」
「…何?」
「さっきから貧乏揺すり、してる」
セインは僅かに面白そうな口振りで言う。確かに自分の足は無意識に、無造作に動いていて。
「……煩い構うな」
そう言い返して、すぐに止めた。
「お前は、昔から無理をしてばっかりだから」
「下らん事ばかり言ってないで―――」
「…うん、お前の事だからそう言うと思ったよ、だからさ―――」

がたん。

床を擦る音がして、セインが椅子から立ち上がる。
「何処へ行くつもりだ、これが終わるまで外には出さんと……」
ケントが言い終わる前に、セインは窓の前に立った。
「……」
空気の入れ替えか、とケントは再び書面に顔を向ける。
窓の外は、風が吹いていなかった。生温い空気が辺りを漂う。
キィ、と微かに音が響いて、それから。
ガタ、と音がしてケントが振り向くと、セインは窓枠に跨っていた。
「……何をしている?」
「…ケントは、言っても聞かないし。 それなら、実行に出るのがいいかな―って」
そう答えて、夕日を背にしてにこりと笑う。

「おい、まさか―――」
「そう、そのまさか……だったりして」
ケントが咄嗟に椅子から立ち上がってセインの腕を掴もうとした瞬間、セインの姿はふわりと浮く。
「…甘いよ、ケント」
「おいっ……!」
「窓から逃げるなんて、盗賊とかじゃないと出来ない訳じゃないしな―――」
セインは落ちる直前まで、ケントの瞳を見据えてにこにこと。
「此処は、三階………っ」
言い掛けたケントの言葉も、全て聞き取れないまま。

―――――――ドサッ。

間もなく、鈍い音が下か響く。
「いてててて………」
「…馬鹿者……」


一応、ケントは気に掛けて窓の外を見る。
案の定、見事にセインは尻もちをついたまま、摩っていた。
しかし思ったよりもセインは早く立ち上がり、此方に手を振ってきた。
だが、そんなセインよりも、ケントの目に止まったものがあった。
「……! セイン、貴様………」
「ほらほら、ケントも来いよ?」
そう言うセインの手には、一枚の書類。丁寧に四つ折りにされている様だが、明らかにそうだった。そしてそれをひらひらさせて、此方を見てにやにや笑っている。
……何ともむかつく、勝ち誇った様な表情に、ケントの眉間には皺が寄った。
「いい加減に………」
「早く来ないと、この紙どっかに捨てるかもよ―!」
「なっ………ふざけるのも大概にしろ!!」

まるで、ケントを子供みたく、からかうかの様に、手を滑り込ませてくるかの様に、誘い出してきて。分かって、それに乗ってしまう自分も、呆れた。
…けれど、相手は大事な書類。たとえ一枚でも、欠けてしまえばどうなるか。その事を分かっていて、セインはあらゆる罠(?)を仕掛けてくる。
「……くそっ」
ほとんど溜息にも似た、慨嘆が、漏れた。


「………お―、やっとこ来たか」
ケントが外に出るとセインは待ち兼ねた様に、振り返った。
「いい加減に、それを返せ」
「……返したら、またあの部屋に戻るんでしょ?」
「当たり前だ」
「だったら返さない」
「余計な時間を食わせるな、早く返せ」
ケントのこめかみには次第に筋が走る。
「嫌だ」
「……っなら、力尽くで返させてもらう!」
「…やってみなよ、力で俺に敵うんならね」
そう言ってセインはケントが掴みかかったのをひらりと避けて、すぐさま逃げ出した。

「何処へ行く! おいっ、セイン!!」
「ほらっ、早く来ないとどうなるか分かんないよ?この紙―」
セインは更に遠くへと走って行ってしまう。その挑発に、ケントはその時ばかりは乗ってしまった。
「待てっ、セイン!!」
セインは笑いながら、どこまでも、どこまでも。
ひたすらに、足を走らせて、先へ、先へと。
草木が揺れて、彼等を向こう側の光さす場所へと導いて。

………あいつとこんな事したのは、どれくらい久しぶりだったろう。
此処まで向きになって、笑って。

あいつがあんな顔をしたのは、いつ以来だったか。
あんまりよく覚えていないけれど、……こうしている事の方が、性に合う。
……気がする。


「………っはぁ!」

「……いい加減に……ぃっ!!?」
ドンッ、と目の前で突然止まった彼に、ケントは思い切り体をぶつける。
「何だ、ようやく観念して―――」
そう言い掛けたケントの言葉が、切れた。


セインの、目線の先……………大きな、夕日が沈み掛けている。

鮮やかなオレンジ色の、グラデーションが空一面に広がっているのだ。
微かに空に混じる雲など眼中に入らないくらいに、その中心、一番鮮やかな夕日に目が吸い込まれていった。
このところはずっと部屋に閉じこもる様にして仕事をしていたが為に、これ程の暁光に目は耐えられなかった。
目を開けているつもりでも、まるで目が物を捉えられなくなった様に何も分からなくなる程に。
ようやく凄い暁光を手で遮って、ゆっくりと再び空を仰ぎ見た。

風が、すんと鼻を掠めて、髪を撫でてゆく様に、吹いてゆく。
寒い、まではいかずとも、僅かながら走った後の汗がその風のお陰ですぐに冷たく感じられた。
自分の足が竦んで体が縮んだ感覚に襲われて、ふるっと軽く身振るいまで起こして、無意識に、目の前にあったものを手に掴んだ。

「―――何、そこまで怒った?」

「そんなんじゃ――――」
「…痛いんだけど、腕」
「あ………」
そこでケントはようやく気付いた。自分が咄嗟に握ったのは、セインの腕だと。
慌てて、その腕を離す。
彼がまた揶揄してくるのかと思いきや、セインはその事にはそれ以上何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと沈んでゆく夕陽を遠目で見ている。

「………セイン」
「懐かしい………よな、此処」
「……ああ…」
「リンディス様が……よく、遠い故郷を眺めていた…」
セインは、途中で言葉を掠れさせて、口を噤んで。珍しく、セインもそれ以上は言葉が出ないようだった。
変わりにケントが、
「―――此処から、遥か遠くに……サカの草原が、広がっているんだろう……」
そう言って、夕日の沈む地平線の向こうを遠く、見据えた。
その顔には、確かな憂いの様な、表情が浮かんでいる気がして。

その顔も同時に眩しくて、セインには微かに眩量を覚えるくらいだった。微かに屈託掛った表情が、表に出そうになるのを抑える。
ケントに、これ以上心身に重荷を掛けたくなかったから。
それでいて此処まで連れ出して来てしまった自分の行為と、手にする紙きれが酷く下らなく感じられた。

本当なら、今すぐに破ってしまいたい。
今すぐに引き千切って、この風に思いっきり乗せしまえば軽くなる。
この心の持ち様と共に消え去って、お前の前から無くなってしまえば、それでもいいのかもしれない。
けれど……これは、お前に見せるべきものだから。

そんな事を考えた結末が、たった一つの溜息。

「……そうだ、返すよ……これ」
「これは……」
ケントは、セインが返した紙を広げてから、目を瞠る。それは書類ではなかったのだ。
「……あいつからの…手紙」
それは、以前から長らく共に闘ってきた、戦友であるウィルからの手紙。フェレへ行くと言って旅立って行った、まだまだ若い少年からの送り物。
まだ幼さを残した様な、やんわりとした書き方で書かれた、その一通の手紙は。
「そういえば……あいつは、まだ一人身なのか」
「うん?」
「いや……何でも無い」

どうしてか……本来ならば嬉しい筈の彼からの手紙なのだが、セインから受け取ったその手紙を見て、何故だか悲しくなった。
顔を訝しげに下げて、一字一字、ゆっくりと目を通す。
その文字が次第に終わりへと近付くにつれて、文字がガタガタに震え出していた。
自然と、その先を読みたくない、と思う。けれどもセインが、渡してくれたから、今此処で。その事には、確かに意味があるのだと、考えるより先に自身の直感がそう言っている気がした。

その文章の結び辺りに、何かが染みた様な跡が残っている。誰に聞かずとも分かった。――それが、彼がこの文章をここまで感情を堪え書き留め、最後で溢れてしまった感情であったという事が。

そこまでして……そうまで、嘘をついて、自分達に心配をかけさせまい、と

嬉しくない、と言えば嘘になる。
嬉しい、と言っても嘘になる。

……この気持ちは、何なのだろう。

「………きっと、心配なんじゃない。お前も」
……そうだろうか。
お前もと言うと、お前もなのか、セイン。
「そうだね」
いつもと同じ様に笑いおって、……お前は、人事だと思ってるだけじゃ――
「…ないよ?」
セインは、その時ばかりは不思議に、寂しそうな笑顔を見せる。
「……ふん」
「あいつは、馬鹿だな」
「何が……」
「こんな無理して書いてくれても、逆に心配になるってのに」
「……」

もしかしたら、きっと…
あいつは、誰かに知って欲しかったんじゃないのか。
自分の居るべき場所を探して、滞留したかった場所も離れて。
自分が本当に居たいと思える場所に帰る、と言っていた。
けれどもそれは、その真意は、全く別の理由ではなかったろうか、と思うのだ。

結局どれだけ心配していても、今となってはどうしようもない事なのだけれど。
こんな戦友一人さえも助けてやれる事が出来ない自分は、これ程までに無力だと思い知らされる。

全てを、ゆっくりと読み終える。いつの間にか、その手紙を持つ手までが微かに震えを帯びている。
高ぶって溢れ出してきそうな感情を喉元で必死に抑え込み、ゆっくりと腑に落とそうと。
表情にも、出してはいないつもりだった。
だが、
「……泣くなよ?」
艶やかに光りを放った瞳が、小さく笑みを持つのを見る。その気の抜ける様な言葉に、溢れそうだった感情はさっと奥へ引っ込んでしまった。
「馬鹿な、…そんな事など」
「でも、今にも泣きそうだったけど?表情が」
「…っ煩い、とにかくお前は―――」
「……文句はそこまで、な?」
「何だとっ…」
「お前は言い出したらすぐに止まらないから」
「……う…」
確かに否定は出来ないし、改善するべきだとは自分でも常々思ってはいるが…
それならば、お前が私をからかう様な事をしなければまだマシだとと思うのだが。
するとセインはくっくっと笑う。その顔は、酷く子供染みている。
「まぁそんなお堅い事はお考えなさんなって」

……本当に、お前は何でも当ててくれるな、私の考えている事を。
一体いつからそんな超能力みたいな、奇妙な事が出来る様になったんだ、全く。
そう考えてセインをむっとした目つきで見ると、
「まぁ長年の付き合いだからなぁ……あ、そろそろ戻ろうか、ケント」
そう答えて笑う、そんなお前の表情は酷く楽しそうな、嬉しそうな。
セインにそう言われてから、ケントはようやく辺りがすっかり暗くなってきていた事に気付く。
お―さむ、なんて言って此方に背を向けたセインを見て、
――お前にまでお堅いと言われる様な私には、お前の事など到底理解しきる事は出来なさそうだ、とケントは思った。




それから先の事はあまりに過酷な為に、丁寧に説明するのは大変長くなると思われるので、あえて簡潔に纏めておく事にする。


少しの息抜きのつもりがかなりの時間を食っていた為に、結局ケントは城に戻るなり早速怒鳴る事になってしまった。
机に相変わらずどっさりと積まれたほとんどの書類の提出は、明日が期限となっている。
とにかく早急に取り掛かる事にはなったが、これで終わらないという事など目に見えていた。
だが結局、その日修羅場と化した部屋の明かりは、消える事はなかった。


翌日、やはり間に合わなかった書類の提出は幸いにも、ケントの日頃の成果もあってか何とか見逃され、処分等は免れる事にはなった。
セインも最後は泣きべそまでかき出す始末で、本気で「もうこれで勘弁して下さい」と連呼し、何とか見逃してくれたと知るや、あっという間に彼はその場から消えた。恐らく自室で休むのだろう。
……そもそも、あの量の多さを見れば受け取る側も納得せざるを得ないだろうが、とケントは苦笑したのだった。


そして、セインと同様に、ケントも疲労しきった体を休めようと自室に向かう途中、 窓の向こうに、古い礼拝堂が見えた。
…何だか随分とそこに行っていない様な気がして、ケントの足はそこへ向かっていた。

キアランの城にある礼拝堂は、オスティア城にある様なものとは比べ物にならない程、質素で規模は小さい。その上、古色蒼然としていて今ではあまり人が立ち寄る事はなくなった。
だがケントにとっては、この城に正式に騎士として仕える事になってから変わることなく、通い続けた場所。
ケントが初めて訪れた時からもう何年も月日を重ねてきたが、此処は昔からほとんど変わっていなかった。
次々と新しく生まれ変わってゆく城や城下町の中で、ぽつりと取り残された様に立っているその礼拝堂は何だか騎士になった頃から変わらない、
自分の祖国への愛や誓いをそのまま反映している様で、それでいて祈りを捧げる日などには、優しいオルガンの音が響いていて……そんな出来事も含めて、ケントはとても好きだった。
此処でその音を聞くと、心がどんな時よりも休まる気がしたから。

―――同時に、その場所は亡くなった者達への追弔が行われる、悲しい場所でもある。

その事は誰でも知っている。いや、此処で知ったのだ。
皆、此処で別れて、此処でその悲しさ、辛さを知ったのだ……

前日まで剣の扱い方を享受していた先輩の小隊長や、騎士としての心構え、覚悟を示教してくれた先輩の騎士達。
その全てではなくとも、彼等のほとんどは此処で、別れを告げた。
ただ、戦場で戦死したのだと告げられて、ただ彼等の永遠に動かなくなった体が入っていると教えられた黒い棺を、じっと見つめ続けていた。
何で死んだかなんて、幼い頃は考えなかった。
ただ、会えないという事が幼いながらにあまりに悲しくて、只管に泣いて、涙を拭った。

そんな涕泣していた私と違って、セインはただじっと、それらの様子を傍観していた様な記憶がある。
そんな姿を見てから、ケントにとって彼は「冷たい奴」としか認識がなかった。
それ以外どう思えばよいのかも分からず、そんな始まりからどうしてこう今の今まで至ったのか。


昔、此処の司祭様が言っていた。
人には皆、それぞれの確かな道が神の元に、付けられているのだと。
それは”運命”では無い、自分自身がその道を沿うのか外れるかの違いだけ。
…その言葉を思い起こす度に、私は私自身の道を進めているのだろうか、と疑問になる。
この道は、果たして沿った道であるのかどうか。
全てその言葉を信じている訳では無かったが、不思議にも忘れる事は無かった。
それも今となっては皆、思い出に過ぎない。



ぼんやりと、祭壇の壁に――いくつも刺さっている、剣を見た。
まだ艶があり、使えそうなものから、そっと触れただけでも壊れてしまいそうな、古びた剣まで。
何本も、壁から天井に近い場所にまで、数えきれない程に刺してある。
それらはキアランで命を落とした、あるいはキアランの為に命を落とした者達の遺品。

古く、壊れていったものから消してゆくのか、消えてゆくのか。
…いずれは此処に自分の物も、これらと同じ運命を辿るのだろうか。
何よりも、彼等の死は………無駄にはならないのだろうか?


そんなとりとめもない事を考えていると、キン……と何かを打った様な、高い音が響いた。
驚いて振り返ると同時に、懐かしいリズムにのった、音色が聞こえてくる。
思わず叫ぼうとして口を開いたケントの口は、動きを止めていた。
その正体は、紛れもなくセインだ。
…というか、お前はオルガンなど弾けたのか?
「…以外に出来るでしょ、俺」
そう言って、笑う。
その音は本当に上手いとは言い難かったが、確かにあの懐かしい旋律が蘇ってくる。
何で、こいつはこの旋律を知っているのだろう。

少しして、セインは先程まで弾いていた古めかしいオルガンから離れ、真っすぐにケントの方へと向かって来た。
その瞳を見て、ケントは何を彼が考えていたのか、解かる気がした。
セインは、そのまま祭壇へ近付き、錆び始めていた一本の剣を抜く。
「おい、それは――」
パキン。
「……」
音を立てて、切っ先が崩れ落ちる。
そしてみるみる、ひび割れが剣身全体に広がりあっという間に鉄の粉となって崩れ落ちた。
「……脆いもんだ」
セインは、呟くように言う。
何故、解かっていて今更そんな事を言うのか。
解かっている。でも、すぐに口には出せないのだと。
余計に不安を募らせてしまうと解かっているから、微かに隠そうと、言葉を遠まわしに繋いでいるのだと。
けれども。

「―――もう、いい」
「…ケント?」
セインが、顔を上げる。
「もう、構わない」
「…」
セインは、いつもの様にころりと笑って茶化したりはしなかった。
ただ、彼の掌からは、さらさらと、まだ鉄の粉が零れ落ちている。
「…お前は、私の考えている事が解かると言ったな、…そして長年の付き合いだからと」
「…ああ」
「ならば言わずとも解かる筈だ」
「……」
セインは、口を開こうとはしなかった。下手に動く気配もなく。
「…誤魔化すな。 これ以上隠して、これからもずっと言わないつもりか」
ケントは、厳しい口調になりつつある事を自ら解かっていたが、それを緩める気はなかった。
「…それとも、お前の気持ちはその程度だったという事か」
「俺は」
彼の言葉を、聞くのが嫌だった、本当は。
それ以上に、後ろめたさ、というものを感じたくなかったから。
お前が本当に、心からそう思っているのならば。

「正直に言うよ」
呼吸が、止まった気がした。

「俺は、此処に…居たくはないんだ」
「…そうか」

分かっていた。
お前があの時その瞳に、違う光を宿していたという事を。
分かっていた、というよりは気付いた、というべきか。

「オスティアに統治を委ねる、という事か」
「…それもある。…でも、もっと重い事がある」
そう言って、セインは背を向けていた祭壇の方を、再び見据えた。
「……」
「あいつらだよ」
この“国”の。
その為に、……命を落としていった彼等。仲間、敵を問わず。
「あいつらが、此処に眠ってる。この国の為に、この国の下で」

―――無理な気がするんだ。

「俺は…この国が、どんどん変わっていって…それでも、今までと同じ様な気持ちで、いられる気がしない」

あいつらの残された想いに、答えていける自身がないんだよ。
いつか、その重さに耐え切れずに、そのまま押し潰されてしまうんじゃないかって。

心の何処かで、逃れたいという気持ちが、あったんだ。

「……た」
「?」
「お前の本音が…聞けて、良かった」
瞳を見れば、解かる。
元々、嘘をつく事など少ないし、ついても下手な彼の事だが。この時ばかりは、馬鹿みたいに笑い飛ばしてなんてな、などと言えないだろう。
「…うん、俺も……すっきりした」
セインは、少し沈みかけていた表情を直すかの様に、微笑む。ほっとしたような、心を落ち着かせる様な、笑み。
同時に、ケントも本音を吐く。
「…私も、同じ気持ちだ」
「え…」
「私だって…正直、恐ろしい。これから、自分達の愛してきたものが、どうなっていくのかと」
「………」
「それでも、私は、私の出来る限りの事を…していくと決めたんだ」
それが、この国の…キアランの、騎士として仕えると決めた私の、確かな道だと思うから。
決して楽ではないだろう、それでも…この願い、覚悟は、私一人のものでもないから。

「だから……あんなに、無理してまで頑張ろうと…してたんだな」
「……結局は、終わらなかったがな」


脳裏に、先日までの悪夢のような書類の仕事が思い出された。

「でも、」
「?」
「お前一人じゃないだろ、この地を…これからも支えていくのは」
「セイン……」
お前一人に辛い思いはさせない、と。
「お前一人が……全て、責任を償うみたいに、そんな悲しい事……言わないでよ」
心まで……重みが、余計圧し掛かる。

自分たちを置いていった者達は皆一人で去って行ってしまった
命尽きていった者達は皆一人で逝ってしまった

けれども、自分達は違う
お互いの、存在がある限り。


「…俺は何度だって、お前に問うよ」


再び、死と隣り合わせの日々の中で相棒であるお前に誓った、言葉を。

「…これからもずっと、俺にはお前がいる。お前には俺がいる。―――だろ?」
一人じゃない。

それでいい、それだけで。
お互いの気持ちが、真実が、解かるから。
……ああ、ようやくお前の真実が、私にも理解出来た様な気がする。

誰よりも共に居て、支え合う事が出来て。
その大切さが解かるのは、お互いのみなのだ。
だから、何度でも、私は私の真実をお前に答えよう。


「ああ、その通りだ。」











End


もう数年は前になります、とあるアンソロにて参加させて頂いたお話です〜〜
もう時効もきただろうかと思って…ようやっとアップしました。
初めて一万字を越えたお話だったので、感慨深いものもありますね
あの当時のままで、一切加筆修正せずにそのままアップしました もうあの頃の書き方には戻れないので 2014,11,27



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